改訂新版 世界大百科事典 「靱猿」の意味・わかりやすい解説
靱猿 (うつぼざる)
(1)狂言の曲名。大名狂言。大名が太郎冠者をつれて狩りに出かける途中,猿引が連れている毛並みのよい猿を見て,靱の皮にしたいから猿を譲れという。猿引が断ると,大名は弓矢で脅し,むりに承知させる。猿引が猿を殺そうと杖をふりあげると,無邪気な猿はその杖を取って舟の櫓を漕ぐまねをするので,あわれを催し手がくだせない。大名も無心な猿の姿に心打たれ,命を助ける。猿引は喜んで猿歌をうたい猿に舞わせる。大名も上機嫌で猿にたわむれて舞うまねをし,扇や刀,衣服をほうびに与える。緊迫感から愁嘆場を経て歌舞中心のなごやかさへと三段に変化し,劇的構成のととのった作品である。全曲を通じ大名のおおらかな人間性が生き生きと描かれるが,後半の見どころ聴きどころは,中世から近世初頭にかけての流行歌謡を数編組み合わせた猿歌。猿の役は,猿の面をつけ,モンパと称するぬいぐるみを着用する。この役はしばしば幼年の演者が初舞台に演ずる。
執筆者:羽田 昶(2)歌舞伎舞踊。常磐津。1838年(天保9)江戸市村座の顔見世興行で初演。本名題《花舞台霞の猿曳(はなぶたいかすみのさるひき)》。演者は猿曳を4世中村歌右衛門,女大名を2世市川九蔵,色奴を12世市村羽左衛門,猿を中村琴次郎。作詞2世中村重助,作曲5世岸沢式佐,振付松本五郎市。これより先に狂言に酷似の舞踊《寿靱猿》があったのを,より歌舞伎色を強め脱化させた作品。子役名披露目に多く用いられもする。
執筆者:目代 清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報