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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…飛鳥にとどまった旧寺は一時衰えたが,9世紀初頭には再興され,837年(承和4)災異消除のために読経等の仏事を修せしめられた20ヵ寺の中に〈本元興寺〉の名が見え,これより元興寺と並称されるようになった。ところが1196年(建久7)雷火で焼失の後,急速に衰微し,現在では〈安居院〉と呼ぶ仮堂に本尊の〈飛鳥大仏〉を安置するのみである。【中井 真孝】
[遺構]
1956,57年の奈良国立文化財研究所の発掘調査で,飛鳥大仏が旧中金堂の位置にあり,中金堂の南に塔,塔の東西に東西二つの金堂を配し,塔の南の中門から東西にのびる回廊が1塔3金堂の一郭をめぐり,回廊の北に講堂を配していることがわかった。…
…この像の正面観照・左右相称の厳しい造形は北魏様式を伝え,光背裏面には謹厳な六朝風の書体で銘文が刻されている。《元興寺縁起》によれば,止利はまた606年法興寺丈六像を完成したが,現存する安居院の飛鳥大仏がこれに当てられており,わずかに残る頭部や手の一部に止利の作風をとどめている。止利様式の作品としては法隆寺大宝蔵殿の銅造釈迦如来および脇侍像(628年銘),法隆寺献納宝物の銅造如来座像(145号),同如来立像(149号,ともに東京国立博物館)がある。…
…当時の権力者蘇我氏とは密接な関係が推測され,606年(推古14)蘇我馬子が日本最初の本格的寺院である飛鳥元興寺を建立する際,止利は銅と刺繡(ししゆう)の二つの丈六仏像をつくっている。その銅の像は飛鳥大仏とよばれ,元興寺(現,安居院)本堂に現存する釈迦座像に当たるとされる。しかし,止利作の像は同寺の東西金堂に置かれて今は失われ,現存の像は中金堂のもので別人の作とする説もある。…
…ほかに,鎌倉高徳院の阿弥陀如来座像(鎌倉大仏)が名高く,《吾妻鏡》は1252年(建長4)の鋳造と伝え,像高は1150cmある。また,大和の飛鳥(あすか)寺の飛鳥大仏は,丈六の銅造釈迦如来座像で,破損ははなはだしく,後年に補修された部分が多いが,なお面相には遠く飛鳥仏の特色がみられ,606年(推古14)仏師鞍作止利(くらつくりのとり)が造って元興(がんごう)寺に安置したという仏像ではないかと考えられている。 塑像では岡寺の弥勒菩薩座像や当麻(たいま)寺金堂の弥勒仏座像が大像として知られている。…
…そのころ造寺・造仏関係の工人たちの渡来も伝えられ,日本の仏像はまさに半島のそれの輸入,直模であったといってよいであろう。正史の伝える日本での本格的な造像の最初は,606年(推古14)の飛鳥(あすか)寺本尊,金銅丈六釈迦像で,これは損傷・補修甚だしい状態であるが同寺に伝世する像(飛鳥大仏)にあたると考えられている。これらの仏像の様式は半島経由とはいいながら,中国の6世紀前半の様式を忠実に学ぶもので,材料としては銅と木が主体であった。…
※「飛鳥大仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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