鞍馬寺門前(読み)くらまでらもんぜん

日本歴史地名大系 「鞍馬寺門前」の解説

鞍馬寺門前
くらまでらもんぜん

[現在地名]左京区鞍馬本くらまほん

二ノ瀬村の北にあり、鞍馬川流域に散在する山間集落。平安遷都以来丹波と京都を結ぶ丹波路(鞍馬街道)要衝となり、付近の山は賀茂かも川の水源地として重視された。延暦一五年(七九六)造東寺長官藤原伊勢人が鞍馬山中腹に鞍馬寺を建立したと伝え(→鞍馬寺、以来集落は門前村としての性格をもつ。寛仁二年(一〇一八)愛宕おたぎ郡八郷は京都上賀茂・下鴨両社に寄進されたが、その際もこの地は鞍馬寺領として除かれ(京都府愛宕郡村志)、中・近世を通じ一貫して鞍馬寺領であった。江戸時代は鞍馬村ともいわれた。

享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳に鞍馬寺門前村として村高一九三石余が記され、ほかに鞍馬寺別当職を支配する青蓮院しようれんいん(現東山区)門跡へ山年貢三斗があった(「華頂要略」門主伝第二五、正保二年一二月二〇日)

物産に木芽の葉を塩漬した木芽漬が知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報