日本歴史地名大系 「須加町」の解説 須加町すかまち 兵庫県:姫路市旧飾磨市地区飾磨・飾万津須加町[現在地名]姫路市飾磨区須加(しかまくすか)野田(のだ)川河口部の右岸、飾万(しかま)津の浦手(うらて)六町の最南端に位置する。元文五年(一七四〇)の姫路町飾万津町地子銀控に「須賀町」とみえ、地子銀高四二九匁余。姫路藩船役所の川口番所や高札場があり(弘化四年「飾万津中明細覚書」藤田家文書)、弘化三年(一八四六)に港湾施設として湛保(たんぽ)と称する船溜が築造され、以後ここが飾万津に出入りする船舶の発着中心地になった。「飾磨郡勢一斑」によると、湛保は当町の町年寄で肥料問屋の藤田祐右衛門の進言により姫路藩が工費六〇〇貫を費やして竣工、範を讃岐国丸亀(まるがめ)湊(現香川県丸亀市)にとり、湊は堤の高さが二丈、東西六六間・南北八三間、水深は満潮時で二間、干潮時で一間、周囲に松の木を植え、船宿を移して風を防いだという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by