法然上人絵伝(読み)ホウネンショウニンエデン

  • ほうねんしょうにんえでん ホフネンシャウニンヱデン
  • ほうねんしょうにんえでん〔ホフネンシヤウニンヱデン〕

百科事典マイペディアの解説

浄土宗開祖法然の伝記絵巻。教説や弟子の伝記も含む。京都知恩院蔵。48巻。紙本着色。比叡山の舜昌法印が後伏見帝のにより編集し,1307年から1310年にわたり製作したという。画は土佐吉光行光,姉小路長隆・長章らの合作といわれ,当時の各種の画風を一望することができる。

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世界大百科事典 第2版の解説

新宗派浄土宗を立て,専修念仏を説いて念仏信仰を広めた,法然上人の生涯の行状を描いた絵巻。法然没後25年の1237年(嘉禎3)に作られた《法然上人伝法絵》(2巻,原本らず)が最も早く,しだいに内容を増大させ,〈増上寺本〉,九巻本《法然聖人伝絵》(琳阿本),1301年(正安3)の《拾遺古徳伝》,《法然聖人絵》(弘願本,4巻が知られる)などの諸本,さらに全48巻の浩瀚な《法然上人行状絵図》(知恩院)に至るまで,浄土宗の発展とともに多種多様な傑作が生み出され広まっていった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

浄土宗の開祖、法然(源空)の生涯を説いたもので、絵巻、掛幅の形式がある。絵巻は法然没後25年目の1237年(嘉禎3)につくられた『法然上人伝法絵』(原本伝存せず)が初例で、その後、増上寺本二巻、琳阿(りんあ)本、弘願(ぐがん)本、また1301年(正安3)覚如(かくにょ)の撰(せん)になる『拾遺古徳伝』(1323年作の茨城・常福寺本が現存)など、浄土宗の発展とともに諸種の作品が数多くつくられた。とくに京都・知恩院に伝わる48巻本(法然上人行状絵図)は従来の法然伝を集大成したもので、法然、浄土宗、知恩院の三位(さんみ)一体の関係を明らかにしている。後伏見(ごふしみ)上皇の勅命により、叡山(えいざん)の舜昌(しゅんしょう)法印が起草集成し、詞書(ことばがき)は上皇はじめ天皇、法皇、公卿(くぎょう)ら八筆が分担執筆、絵は絵所に命じ、1307年(徳治2)から10年余りを費やして完成したとされる(『勅修吉水円光(きっすいえんこう)大師御伝縁起』による)。しかし実際には、鎌倉末から南北朝初期にかけて(14世紀前半)多数の画家が参与してつくられたものと思われる。法然絵伝のみならず、絵巻の歴史上でも最大の規模を誇り、またこの時期の大和(やまと)絵正系の画風を伝える意味でも重要である。国宝。このほか掛幅画の遺品としては、愛知・妙源寺本、三重・西導寺本などがあり、一般の布教に供されたことがわかる。

[村重 寧]

『小松茂美編『続日本絵巻大成1~3 法然上人絵伝』(1981・中央公論社)』


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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 法然の一代記を中心に絵解きしたもの。法然賛仰と浄土信仰宣揚のために種々作られた。嘉禎三年(一二三七)に耽空が撰し、図絵は源光忠の手になる、原名「伝法絵流通」が最も古いが、原本は伝わっていない。そのほか増上寺本、琳阿本、弘願本などがあり、さらに従来の法然伝を集大成したのが後伏見上皇の勅修によると伝える「法然上人行状画(絵)図」四八巻(京都、知恩院蔵。国宝)である。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

浄土宗の始祖法然の行状と門弟たちの伝記を描いた絵巻物
数種類があり,いずれも上人を仰し浄土宗布教の方便となった。鎌倉末期作の京都知恩院蔵の48巻本は絵巻物中の最長編で,「勅修御伝」と呼ばれ有名。

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