日本大百科全書(ニッポニカ) 「須磨の写絵」の意味・わかりやすい解説
須磨の写絵
すまのうつしえ
歌舞伎(かぶき)舞踊劇。清元(きよもと)。本名題(ほんなだい)『今様(いまよう)須磨の写絵』。2世桜田治助(じすけ)作詞、清沢万吉作曲。初世藤間勘十郎振付け。1815年(文化12)5月江戸市村座で、2世市川団之助の松風(まつかぜ)、岩井粂三郎(くめさぶろう)(6世半四郎)の村雨(むらさめ)、3世嵐(あらし)三五郎の行平(ゆきひら)と此兵衛(このべえ)により初演。能『松風』に基づく「松風村雨物」の代表作。須磨の浦に流罪中の在原行平(ありわらのゆきひら)は、勅勘が解けたとの報(しら)せに、なれそめた海女(あま)の松風・村雨姉妹へ形代(かたしろ)の烏帽子(えぼし)・狩衣(かりぎぬ)と短冊の歌を残して立ち去る。あとに恋人と別れて心の乱れた松風を、漁師此兵衛がくどいて争う。上下二つに分かれ、上の巻では行平をめぐる姉妹のクドキ、下の巻では松風と此兵衛の所作(しょさ)ダテが見どころで、歌舞伎らしいおおらかな美しさをもち、華やかななかにも哀感のある作品。明治以降は下の巻だけの上演が多かったが、6世中村歌右衛門(うたえもん)が上下通して復活(1954)、得意の演目にした。なお、行平と此兵衛の二役は1人で演じることが多い。
[松井俊諭]