デジタル大辞泉 「狩衣」の意味・読み・例文・類語
かり‐ごろも【狩衣】
「秋の野の露わけきたる―
[枕]「裁つ」「着る」「掛く」「裾」「
「―乱れて袖にうつりゆく」〈夫木・一一〉
「―たち憂き花のかげに来て」〈玉葉集・旅〉
平安時代以来の装束の一種。闕腋衣(けつてきい)の系統で,袖と身ごろが離れていて,ただ背後の上方が少しく連結しているにすぎない。そして袖口には袖くくりのひもがあるのを特色とする。奈良時代以来闕腋袍(ほう)が武官の朝服に採用されたのは,その形が動作に便であったからで,狩衣はこの闕腋衣のさらに活動的でしかも簡単な形式のものであった。つまり上代一般に民間服として用いられていた私服で,この衣の下には裾くくりのある袴(こ)をはいた。
しかし平安時代に入り,朝廷で野の行幸に鷹狩りが行われたとき,これに参加する上級文官も臨時にこの闕腋系の衣を着用したので,こうしたことから狩衣の位置がしだいに確立した。そのため,これらの官人の用いる狩衣が一般のものより高級になり,しかも武官の朝服の位襖(いおう)のごとき制約がなく,その色も文様も自由であったために私服として発達した。そして,袖つけの前が離れ,袖くくりのある原形を保ちながらしだいにゆるやかになり,地質も布製からさらに絹綾製のものができた。その下にはく裾くくりの袴もともに上質でゆるやかなものとなり,ここに猟衣でありながら平生衣にも用いられる衣が成立し,その時期は,10世紀ころからではないかと推定される。したがって狩衣は,のちのちまで本来布製の粗服であったなごりをとどめ,布衣(ほうい)という別称をもっていた。
こうして狩衣は初め常服としての性格がつよく,公家では若公達や,遠方の旅行などに用いられる程度で軽装であったが,平安時代末から鎌倉時代になると,地質・文様もますます華麗となり,一方には新興武士階級がこれを正装としたため,ますますその位置を高めることとなった。なお,狩衣装束を狩装束という。
狩衣の地質には綾,織物,二重(ふたえ)織物,縫物錦,顕文紗(けんもんしや)などいろいろ用いられ,その色目も縹(はなだ),萌黄(もえぎ),菊,薄青,赤色,枯野,香,蘇芳(すおう)など数多く,文様も草樹,花鳥,虫獣にいたるさまざまなものがあった。たとえば1269年(文永6)後嵯峨院五十賀の堀河少将基俊の狩衣は,唐織裏山吹の三重の柳襷(やなぎだすき)を青く織り出した中に,桜をいろいろに二重織にしたという,おごりをきわめたものであった。狩衣の帯には共裂(ともぎれ)の宛帯(あておび)を用い,下に衣を着て,女房の袿(うちき)のような色目を生じた。このようにして室町時代以後には,若年のものは紅梅や萌黄の浮織物,盛年になると固織物(かたおりもの)の遠文(とおもん)を用い,袖くくりは15歳未満は毛抜形,若いものは薄平組で,萌黄,紫,紅などの打交(うちまぜ)か紫匂などであった。
武官の服はもともと襖(あお)であったが,鎌倉時代以後に興った武家階級は庶民的な性格をもっていたので,その衣服は布衣であった。したがって武家が政治の権力をにぎり,その中心になったとき正装に狩衣を採用したため,将軍以下下級武士の着用する狩衣に差別が生じた。この系列の中に入るものが狩襖,布衣,褐衣(かちえ),水干(すいかん),退紅(たいこう),白張(はくちよう)などで,上級狩衣は公家の場合と同じく織物・絹綾が用いられ,下級には無紋の布衣が多かった。そのため室町時代には絹製のものを狩衣,布製のものを布衣といい,江戸時代には綾織物を狩衣,平絹のものを布衣というようになり,狩衣は四位以上の礼服,布衣は将軍にまみえることのできる諸士の服とした。その色には紅と紫を遠慮するほかは定めなく,地は紗または顕文紗であった。なお,これには風折烏帽子(かざおりえぼし)をかぶり,蝙蝠(かわほり)を手にし,足は素足である。
執筆者:日野西 資孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
公家(くげ)の衣服の一種。平常着として使われた。元来狩猟に用いた布製の上衣で、猟衣とか雁衣とも書かれ、奈良時代から平安時代初期にかけて用いられた襖(あお)を原型としたものであるため、狩襖(かりあお)ともいわれた。両腋(わき)のあいた仕立ての闕腋(けってき)であるが、袍(ほう)の身頃(みごろ)が二幅(ふたの)でつくられているのに対して、狩衣は身頃が一幅で身幅が狭いため、袖(そで)を後ろ身頃にわずかに縫い付け、肩から前身頃にかけてあけたままの仕立て方となっている。平安時代後期になると絹織物製の狩衣も使われ、布(麻)製のものを布衣(ほい)とよぶようになった。狩衣の着装は腰に帯を当てて前に回して締めるが、この帯を当帯(あておび)または当腰(あてこし)とよんだ。
狩衣は上皇、親王、諸臣の殿上人(てんじょうびと)以上が用い、地下(じげ)は布衣を着た。狩衣姿で参朝することはできなかったが、院参は許されていた。狩衣装束の構成は烏帽子(えぼし)、狩衣、衣、単(ひとえ)、指貫(さしぬき)、下袴(したばかま)、扇、帖紙(じょうし)、浅沓(あさぐつ)で、衣を省略することもあり、指貫より幅の狭い狩袴をはくこともあった。狩衣に冠は用いられないが、検非違使(けびいし)は服装の簡略化に伴って白襖(しらあお)(白の狩衣)に冠をかぶり、布衣冠と称したものを用いることがあった。殿上人以上は裏をつけた袷(あわせ)の狩衣を用いたが、地下は裏をつけない単のものしか着られなかった。地質については、平安後期以降、華美な狩衣を用いることもあった。公卿(くぎょう)以上に二陪(ふたえ)織物、公卿家以上の若年に浮織物、殿上人以上に固織物(かたおりもの)(先染めの綾)、練り薄物(生経練緯(きだてねりぬき)の縠(こく))、顕文紗(けんもんしゃ)などの使用が許された。
色目は自由で好みによるが、当色以外のものを用い、袷の場合は表地と裏地の組合せによる襲(かさね)色目とした。室町時代の有職(ゆうそく)書『雁衣抄』に、たとえば春に梅は表白、裏蘇芳(すおう)。桜は表白、裏花色。裏山吹は表黄、裏紅。藤は表薄紫、裏青。夏に菖蒲(しょうぶ)は表青、裏濃紅梅。桔梗(ききょう)は表二藍(ふたあい)、裏青。女郎花(おみなえし)は表黄、裏青。秋に檀(まゆみ)は表蘇芳、裏黄。竜胆(りんどう)は表薄蘇芳、裏青。白菊は表白、裏蘇芳。青紅葉(あおもみじ)は表青、裏朽葉(くちば)、冬に松重(まつがさね)は表青、裏蘇芳。枯色(かれいろ)は表香、裏青。四季通用の赤色は表蘇芳、裏縹(はなだ)。檜皮(ひわだ)色は表蘇芳、裏二藍。海松(みる)色は表黒、裏黒青とある。
行動の便を考えて、狩衣の袖口に括(くく)りの緒を差し通し、それを引き締めて手首に結ぶようにしたが、袷の狩衣の袖括りはしだいに形式的なものとなって装飾化し、殿上人以上のものには年齢による区別が生じた。15歳までは、置括りといって白と赤、赤と黄、黄と青、紫と青など2本ずつの左右撚(よ)りの紐(ひも)を通してから広げ、毛抜形にして縫い止めたものと、2本ずつ左右より淡路(あわじ)結びとし、さらにその間を梅花または藤花形に結んで縫い止めたものとがある。
16歳より40歳までは薄平(うすひら)といって、薄平たく組んだ紐を差し通したが、その色は紫緂(むらさきだん)(紫と白のだんだら)、萌葱(もえぎ)緂、櫨(はじ)緂、楝(おうち)緂(紫・萌葱・白のだんだら)などであった。40歳以上は厚細(あつぼそ)といって、細いが肉の厚い組紐で、その色は黄緂、縹(はなだ)緂、紺緂、香緂などであった。また宿老(50歳以上)は白の左右撚りの紐。極老人は、籠(こめ)括りといって、括りの緒を袖口の中に入れて先端の部分の露(つゆ)といわれるもののみ袖の下より垂らした。地下の袖括りは年齢にかかわらず白左右撚りで、また殿上人も単の狩衣には白左右撚りを用いた。
[高田倭男]
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猟衣・雁衣とも。本来は布製のため布衣(ほい)ともいった。狩猟に用いる衣服の意。公家では略装に,武家では正装に用いた。狩衣での参内はできなかったが,院への参上には用いられたので,院政期以降,上皇以下広く着用され,地質にも絹が使われるようになった。そのため絹製を狩衣,布製を布衣とよんで区別することもあった。構造は闕腋(けってき)形式の身1幅仕立て,襟は盤領(まるえり)で蜻蛉(とんぼ)と羂(わな)でとめる。闕腋形式を襖(おう)と称することから,狩襖(かりおう)ともいった。身が1幅で狭いため,袖つけは後身にわずかに縫いつけて両脇は大きく開け,袖口には括緒(くくりお)をつけた。着用は同地質の当腰(あてごし)を後身の腰から前へ回し,前身をくりあげて結んだのち懐をつくる。烏帽子(えぼし)をかぶり,指貫(さしぬき)または狩袴を用いた。
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…衣服一般の名称のほか,とくに直衣(のうし)や狩衣(かりぎぬ)の下着をいう場合がある。古来,絹を〈きぬ〉とよみ,また衣をも〈きぬ〉と称したが,衣服の場合,その地質の名称や加工の過程が衣の名称になることは後世にもその例が多い。…
…その代り摺染が下級者の文様表現として愛好され,それは後世に蛮絵(ばんえ)と呼ばれる技法に発展している。おもしろいのは牛飼いなど下級者の晴れの狩衣に,裏形というものが用いられたことである。裏形の実態は明らかでないが,おそらく裏に摺染をして,表に写ったおぼろげな形を文様効果としたものと思われる。…
…能面
【能装束】
能装束は実生活の被服から出発して,しだいに舞台専用の形状と用法を備えるにいたったものである。たとえば公家の使用する狩衣(かりぎぬ)は,身ごろも袖も1幅半であるが,能装束では完全に2幅となっている。また長絹(ちようけん)は公家用の直垂(ひたたれ)から出たものであろうが,能ではさまざまな使用法をくふうしている。…
…布袴は束帯のうち表袴をやめて指貫(さしぬき)に代えたもので,衣冠はこの布袴をさらに簡略にしたもので,これらの服装に着用された指貫は,奈良時代の括緒袴(くくりおのはかま)に由来するものであった。 当時の公家日常の服装としては直衣(のうし),狩衣(かりぎぬ)などがあった。藤原氏一門の繁栄にともなって,唐風模倣を離れて独特な服装が発達した。…
…〈ほい〉ともいう。公家では狩衣(かりぎぬ)の別称で,たとえば上皇が禅位後はじめて狩衣を着る儀式を布衣始(ほういはじめ)という。布衣という称呼は,狩衣が正式の服ではなく,身分の低いものの服装から生まれた野外用の略装であったからであろう。…
※「狩衣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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