日本歴史地名大系 「須賀山村」の解説
須賀山村
すかやまむら
現東庄町の北西端に位置し、北は利根川が流れ、番洲が形成されている。同川付近に笹川の集落があり、笹川河岸が置かれていた。銚子道が通り、道沿いに
寛永一二年より幕府領と旗本松平・中根領であったとされ、元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一千二五四石余で、幕府領のほか、旗本中根・川口領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現東庄町の北西端に位置し、北は利根川が流れ、番洲が形成されている。同川付近に笹川の集落があり、笹川河岸が置かれていた。銚子道が通り、道沿いに
寛永一二年より幕府領と旗本松平・中根領であったとされ、元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一千二五四石余で、幕府領のほか、旗本中根・川口領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新