日本大百科全書(ニッポニカ) 「頓智話」の意味・わかりやすい解説
頓智話
とんちばなし
機知や頓智を中心にした話の総称。けちな和尚(おしょう)を小僧が巧みな頓智でやりこめてしまう「和尚と小僧」をはじめ、「一休話」や「彦一(ひこいち)話」などがよく知られている。たとえば、和尚が鮎(あゆ)を焼いているところを小僧に見られ、剃刀(かみそり)だと答える。他日、2人で法事に行く途中、橋の上から鮎の泳ぐのを見た小僧は、和尚さん剃刀が泳いでいるという(「鮎は剃刀」)。「飴(あめ)は毒」の話は、飴を毒だといって小僧に与えない。和尚の留守に小僧は飴をなめ、寺のたいせつな硯(すずり)を割る。和尚が帰ってくると、たいせつな硯を割ってしまったので死んでわびようと思い飴をなめたが死にきれないと答える。ほかにも「焼き餅(もち)」「餅は本尊様」「指合図(ゆびあいず)」など、小僧の優れた頓智を主題とした話は多い。優位にたつ和尚が小僧の巧みな頓智の前にやりこめられ、愚かしさを露呈するところに笑いの源泉を求めることができる。小僧の頓智話は早く『沙石集(しゃせきしゅう)』にみえ、『雑談(ぞうたん)集』『醒睡笑(せいすいしょう)』などにも類話が記されている。こうした和尚と小僧譚(たん)は、近世の咄(はなし)本や滑稽(こっけい)本に少なからぬ影響を及ぼすとともに、一方で書物を介して民間に流布していったと思われる。一休の実話や頓智話を多く集めて人気を博した『一休咄』は多くの類書があるが、このなかには現行の昔話と一致する例もあって興味深い。「和尚と小僧」のような頓智話の類は、本来、神童譚から出発したもので、夙慧譚(しゅくけいたん)として成長したのち、笑話化の道をたどったとする考えもある。
[野村純一]