顕孝寺跡(読み)けんこうじあと

日本歴史地名大系 「顕孝寺跡」の解説

顕孝寺跡
けんこうじあと

[現在地名]東区多々良一丁目

博多湾に注ぐ多々良たたら川河口を見下ろす高台にあった臨済宗寺院。神感山と号し旌忠顕孝禅寺ともいった。鎌倉時代末期(元弘二年以前)に豊後守護で鎮西探題の引付頭人であった大友貞宗が、明庵栄西の法系を引く臨済宗黄龍派の闡提正具開山として創建した(本朝高僧伝)。鎌倉末期における禅宗文化の代表的な担い手であった貞宗は大陸文化の摂取にきわめて積極的であり、当寺が大陸文物輸入の窓口として中心的役割を担っていたと考えられる。寺跡と考えられる地域の周辺からは中世前期の中国製磁器などが出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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