飯尾兼晴(読み)いいお かねはる

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯尾兼晴」の解説

飯尾兼晴 いいお-かねはる

1611-1646* 江戸時代前期の武士
慶長16年生まれ。もと肥前島原城主松倉氏の臣という。叔父と弟を刑死させた讃岐(さぬき)高松藩の家老生駒(いこま)正種を追い,生駒の公儀預かり先の出雲(いずも)松江藩仕官正保(しょうほ)2年12月17日仇(あだ)討ちをはたしたのち切腹。35歳。変名は遠山市郎左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む