改訂新版 世界大百科事典 「飯島関」の意味・わかりやすい解説
飯島関 (いいじまのせき)
中世,相模鎌倉材木座海岸沿いの飯島に設けられた関所。飯島という地名がみえる古い例は,源頼朝の寵女亀前が伏見冠者広綱の飯島屋敷に住していたことを記した《吾妻鏡》寿永1年(1182)11月10日条である。1232年(貞永1)7月勧進聖人往阿弥陀仏は,船の着岸の不便をなくすため飯島の地に和賀江島を築くことを幕府に申請し,1ヵ月足らずで完成させた。関所設置の時期は明らかでないが,日蓮の《聖愚問答鈔》に〈飯島ノ津マデ六浦ノ関米ヲ取ル諸人ノ歎キ是多シ〉とみえる。1339年(延元4・暦応2)鎌倉府は円覚寺に対して,六浦関などとともに先例によって関米を免除した。49年(正平4・貞和5)2月11日の極楽寺長老あて将軍足利尊氏の書状によると,船舶から関米を徴収し,極楽寺の管理のもと島の修築を行っていたことが知られる。70年(建徳1・応安3)8月の大水で300余の人家すべてが流失したという。1590年(天正18)ころには円覚寺塔頭(たつちゆう)雲頂庵が敷地分として飯島に1貫文を有していた。
執筆者:田辺 久子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報