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首陽山 シュヨウザン

大辞林 第三版の解説

しゅようざん【首陽山】

中国、周初、伯夷はくいと叔斉しゆくせいが隠れて餓死したと伝えられる山。その所在地は山西省永済県南の雷首山ほか諸説ある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

首陽山
しゅようさん / ショウヤンシャン

中国、山西(さんせい/シャンシー)省南端、(そくすい)と黄河(こうが/ホワンホー)に挟まれた東西に延びる標高2000メートル余の低平な山地。歴史的には雷首山の名で知られ、また中条山ともいう。中原(ちゅうげん)と関中の間にあり、また汾河(ふんが/フェンホー)流域より両地方に進出するルートとの交点にもあたり、春秋戦国時代からさまざまな逸話をもつ。とくに商を討った周の武王を諫(いさ)めた伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)が隠栖(いんせい)して餓死した山として有名。[秋山元秀]

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世界大百科事典内の首陽山の言及

【伯夷・叔斉】より

…文王が死に,武王が紂王討伐の軍を起こそうとしたとき,2人は武王の馬を引きとどめて,父の死後すぐ兵を起こすこと,また臣下でありながら主君を討伐することの不当をなじる。武王が殷を滅ぼし天下が周のものとなると,2人は周の粟(ぞく)を食べることを恥じ,首陽山(山西省永済県)に入って薇(わらび)をとって食料としたがやがて餓死した。《論語》が2人を〈を求めて仁を得たものだ〉と称賛して以来,彼らの信念を貫き妥協を排した生き方がさまざまに論ぜられてきた。…

※「首陽山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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