首陽山(読み)シュヨウザン

デジタル大辞泉 「首陽山」の意味・読み・例文・類語

しゅよう‐ざん〔シユヤウ‐〕【首陽山】

中国山西省の西南部にある山。周の武王をいさめた伯夷はくい叔斉しゅくせいが隠棲し餓死した山として知られる。

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精選版 日本国語大辞典 「首陽山」の意味・読み・例文・類語

しゅよう‐ざん シュヤウ‥【首陽山】

中国の周初、伯夷叔斉がこもって餓死した地として知られる山。その所在地については山西省永済県の南の雷首山、河北省盧龍県の陽山、河南省偃師県の邙(ぼう)山の最高峰、甘粛省隴西県の西南の地などの諸説がある。〔史記‐伯夷伝〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「首陽山」の意味・わかりやすい解説

首陽山
しゅようさん / ショウヤンシャン

中国、山西(さんせいシャンシー)省南端、涑水(そくすい)と黄河(こうが/ホワンホー)に挟まれた東西に延びる標高2000メートル余の低平な山地。歴史的には雷首山の名で知られ、また中条山ともいう。中原(ちゅうげん)と関中の間にあり、また汾河(ふんが/フェンホー)流域より両地方に進出するルートとの交点にもあたり、春秋戦国時代からさまざまな逸話をもつ。とくに商を討った周の武王を諫(いさ)めた伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)が隠栖(いんせい)して餓死した山として有名。

[秋山元秀]

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世界大百科事典(旧版)内の首陽山の言及

【伯夷・叔斉】より

…文王が死に,武王が紂王討伐の軍を起こそうとしたとき,2人は武王の馬を引きとどめて,父の死後すぐ兵を起こすこと,また臣下でありながら主君を討伐することの不当をなじる。武王が殷を滅ぼし天下が周のものとなると,2人は周の粟(ぞく)を食べることを恥じ,首陽山(山西省永済県)に入って薇(わらび)をとって食料としたがやがて餓死した。《論語》が2人を〈を求めて仁を得たものだ〉と称賛して以来,彼らの信念を貫き妥協を排した生き方がさまざまに論ぜられてきた。…

※「首陽山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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