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香港特別行政区 ほんこんとくべつぎょうせいく

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知恵蔵の解説

香港特別行政区

アヘン戦争以来、1世紀半にわたって英国の植民地であった香港は、1984年9月に合意された英中協定(本調印は同年12月)により、97年7月1日、南京条約(1842年)で割譲された香港島、北京条約(1860年)で割譲された九竜半島市街地、1898年の香港境界拡張専約で99年間の租借地となった新界、の3地域すべてが中国に返還され、中国の特別行政区「中国香港」(Hong Kong China)となった。行政長官には財界人の董建華(トン・チェンホワ)が就任した。以後50年間、一国両制の原則で香港の現状が維持されることになったが、香港の中国化が急速で約700万香港住民の不安は絶えない。97年までに、香港の繁栄を支えてきた中間管理者層テクノクラート、知識人ら約100万人が海外に脱出したといわれ、さらに、大英帝国公民の旅券を保持する約325万の住民が、英国への移住を希望して英国政府に折衝、英国は25万人の移住を認めた。91年9月、香港立法評議会初の直接選挙で、香港民主同盟を中心とする民主派が圧勝、さらに最後の総督となったクリストファー・パッテンが92年10月、立法評議会の選挙方式を大幅に変更する香港民主化提案を実行に移したことに中国側は激しく反発した。中国側は香港社会の中国化を急ぎ、返還後に備えて香港特別行政区準備委員会を発足させると共に、パッテン提案で選ばれた立法評議会議員を香港返還と共に失効させた。97年6月30日、チャールズ皇太子江沢民(チアン・ツォーミン)国家主席などが出席して返還式典が行われ、「中国香港」が船出したが、返還以後の香港は香港ドル不安やアジア通貨危機で経済的打撃を受けた。99年1月には、香港最高裁が香港人を親にもつ中国本土の子供の香港居住権を認めるなど自主性を強めようとする動きもあったが、香港市民に人気のあった香港政府No.2のアンソン・チャン政務長官が2001年に辞任し、マスメディアでは中国批判が禁じられるなど、総じて香港の前途は厳しい。02年1月に董建華が再任され、基本法第23条に基づく国家安全法案を上程したところ、03年7月1日、政治的自由を拘束する同法案に反対する50万人以上の大デモが起こり、香港は大きく揺れた。05年3月、董建華長官が辞任し、同年6月に曽蔭権(ツォン・インチュワン)長官が就任した。

(中嶋嶺雄 国際教養大学学長 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
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