董建華(読み)とうけんか(その他表記)Dong Jian-hua

日本大百科全書(ニッポニカ) 「董建華」の意味・わかりやすい解説

董建華
とうけんか / トンチエンホワ
Dong Jian-hua
(1937― )

香港(ホンコン)の実業家。中国返還後の香港特別行政区の初代行政長官上海(シャンハイ)生まれ。海運王・董浩雲の長男で、1947年、家族とともに香港に移住した。イギリスのリバプール大学に学び、1979年から父親の海運会社・東方海外国際社の事業を引き継ぎ、1985年に同社が経営破綻(はたん)した際にその立て直しに成功した。このときに中国が資金援助したことから中国との強いパイプができ、1993年に中国人民政治協商会議委員、1996年1月には香港特別行政区準備委員会副主任に就任した。同年9月、返還後の香港の最高指導者である行政長官に立候補し、12月、推薦委員会の間接選挙で当選した。1997年7月就任(2002年2月再選)。上海出身ということで江沢民(こうたくみん/チアンツォーミン)の権力基盤である上海閥につらなり、イギリスとの関係も良好で、日米の財界人にも友人が多い。さらに父親が親台湾派だったことから台湾にも人脈がある。中国が決めた人権法の改定支持を表明して中国寄りの姿勢を示す一方、政庁幹部の多くを留任させ、民主派にも対話をよびかけるなど円滑な返還のための準備を進め、香港人であるアンソン・チャン(陳方安生)の特別行政区政務長官就任を要請した(1997年就任、2001年辞任)。1991~1996年、港日経済合同委員会委員をつとめた際や、行政長官就任後の1997年(平成9)、2001年と度々訪日している。2005年3月任期なかばにして健康上の問題を理由に辞任。

[渡邊幸秀]

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現代外国人名録2016 「董建華」の解説

董 建華
トウ・ケンカ
Tung Chee-hwa

職業・肩書
政治家,実業家 中国人民政治協商会議副主席 元香港特別行政区行政長官,元オリエント・オーバーシーズ(OOIL)会長

国籍
中国

生年月日
1937年5月29日

出生地
上海

学歴
リバプール大学〔1960年〕卒

経歴
香港の海運王、董浩雲の長男。1947年家族とともに香港へ移住。米国の企業勤務を経て、’69年香港に戻り、父の海運会社・オリエント・オーバーシーズ社(OOIL)に入社、’79年父のあとを次いで同社会長に就任。’92年10月パッテン総督から行政評議会議員に指名される。’95年12月香港特別行政区準備委員会の副主任に選任され、’96年6月香港特別行政区行政長官選挙に立候補、12月当選。’97年7月1日英国から香港が返還され、初代行政長官に就任。2002年7月再任。2005年3月任期途中で行政長官を辞任。1993年より中国人民政治協商会議(政協)委員、2005年3月同副主席。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

百科事典マイペディア 「董建華」の意味・わかりやすい解説

董建華【とうけんか】

香港の政治家。上海出身。1949年父親とともに香港へ移住。英国リバプール大学卒業。1982年に経営が傾きかけていた父親の海運会社東方海外有限公司を引き継ぐ。その立直しに中国からも支援を受け,そのためもあって親中国派とみられている。1996年12月,事実上中国の後押しで,返還後の香港の特別行政区行政最高責任者である行政長官に選出され,1997年7月に就任。任期5年。2002年再選されたが,2005年3月辞任し,後任の曽蔭権が残りの任期を務める。→香港返還

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