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馬島清眼 まじま せいがん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

馬島清眼 まじま-せいがん

?-1379 南北朝時代の僧,眼科医。
尾張(おわり)(愛知県)海東郡馬島の薬師寺蔵南坊の僧で,同寺中興の大僧都(そうず)。服薬,洗浄などのあたらしい治療をおこない,日本眼科医の祖とされる。馬島流眼科は代々うけつがれ現代までつづく。永和5=天授5年3月19日死去。

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世界大百科事典 第2版の解説

まじませいがん【馬島清眼】

?‐1379(天授5∥康暦1)
南北朝期の僧医。日本の眼科専門医のさきがけ。尾張国海東郡馬島の医王山薬師寺中興の祖で,その塔頭蔵南坊(のちの明眼(みようげん)院)に住み,そののち大僧都に累進した。薬師如来の霊夢により万民の眼病を救うための眼科の伝授をうけ,これによって眼病者を治療し,馬島流眼科の開祖となった。代々の住持はそれを継承発展させ,馬島明眼院の寺域内に設けた多数の眼病舎は眼科治療の一大メッカとなった。【宗田 一】

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大辞林 第三版の解説

まじませいがん【馬島清眼】

?~1379) 南北朝時代の僧医。尾張の人。薬師寺蔵南坊(のちの明眼みようげん院)に住み、眼科治療を行い馬島流眼科の祖となる。

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世界大百科事典内の馬島清眼の言及

【白内障】より

…平安末期の絵巻《病草紙(やまいのそうし)》にある眼病の治療は,白内障の男に眼医者が針をたてて手術している図であるといわれる。日本では長く〈しろそこひ〉〈うみそこひ〉といわれ,江戸時代の眼科の名門馬島(まじま)流の元祖馬島清眼僧都は,白内障の針術を得意としていた。また幕末の眼科医土生玄昌(はぶげんしよう)(土生玄碩(げんせき)の子)には,白内障の臨床記録だけをつづった《白内翳手術人名》があり,白内障患者の多かったことが知られる。…

※「馬島清眼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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