日本大百科全書(ニッポニカ) 「馮夢龍」の意味・わかりやすい解説
馮夢龍(ふうぼうりゅう)
ふうぼうりゅう
(1574―1645)
中国、明(みん)末の学者。字(あざな)は猶龍(ゆうりゅう)、耳猶(じゆう)など。号は姑蘇詞奴(こそしど)、顧曲山人、詹詹(せんせん)外史、墨憨斎(ぼくかんさい)主人など。呉県(江蘇(こうそ)省)の人。1635年に福建省寿寧県の知事となり、抗清(しん)強硬論を唱え、やがて明室の滅亡に殉じたと伝えられる。多くの分野で活躍したが、本領は通俗文学の編集訂補と創作にあり、小説では『三言(さんげん)』をはじめ、北宋(ほくそう)代の農民暴動を題材とした変幻的な長編小説『平妖伝(へいようでん)』や『新列国志』『両漢演義』、戯曲では『墨憨斎定本伝奇』、民歌、散曲では『山歌』『太霞新奏(たいかしんそう)』、そのほか古今の笑話を集大成した『笑府』や『情史』『智嚢(ちのう)』などの逸事と、あらゆるジャンルにわたって多くの著書がある。その編集態度には厳しい礼教批判の立場が認められる。
[今西凱夫]