駄坂舟隠遺跡(読み)ださかふながくしいせき

日本歴史地名大系 「駄坂舟隠遺跡」の解説

駄坂舟隠遺跡
ださかふながくしいせき

[現在地名]豊岡市駄坂 舟隠

三開みひらき山から南に延びる丘陵突端部が東に走向を変える地点の、標高約三四―四〇メートルの稜線上に立地。丘陵下には六方ろつぽう川ロツポウガワが北流し、川床には弥生時代前期・中期の駄坂・川原かわはら遺跡が存在する。舟隠遺跡は弥生前期末―中期初頭の墳墓群。古墳山城が重複している。昭和六三年(一九八八)に発掘された。弥生時代の墳墓は2号墳下層付近の丘陵高位部の東部が主体とみられ、9号墳付近の低位部にまで一連の墳墓が営まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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