日本大百科全書(ニッポニカ) 「高山正隆」の意味・わかりやすい解説
高山正隆
たかやままさたか
(1895―1981)
写真家。東京生まれ。1920年代から30年代にかけて、美術としての写真表現を追求した。早稲田大学在学中からバイオリンの演奏や油絵制作に熱中、同大学を中退後、写真撮影を始める。写真雑誌『カメラ』『芸術写真研究』で投稿欄の選者を務めていた写真家中島謙吉(1888―1972)より強い影響を受け、女性や静物、風景などをモチーフとして、ソフト・フォーカスの画面による抒情的な写真表現を志向するようになる。1923年(大正12)ごろから写真雑誌に作品を多数発表しはじめる。
20年代の日本において芸術的な表現をめざすアマチュア写真家のあいだで盛んに試みられた、単レンズつきのベスト・ポケット・コダックカメラ(1912年に売り出され、写真の大衆化に貢献したことで名高いロールフィルム装填式の簡易カメラ)のレンズ・フードを取りはずし、絞りを開放にして撮影する「ベス単フードはずし」と呼ばれた技法(光の滲(にじ)みが画面全体に生じ、靄(もや)がかかったソフト・フォーカスの独特な描写が得られる)を、高山は好んで実践し、「ベス単派」の中核的な写真家として知られた。また、妻の美津子をモデルにして撮影された代表作「楽器を持つ女」(1924)や「婦人像」(1925)では、撮影したフィルムのごく一部を大きく引き伸ばす「部分伸ばし」や、引き伸ばしのプロセスで印画紙を傾けたり、たわませることで画像に湾曲・伸縮を生じさせる「ディフォメーション」の特殊技法を用い、大正期の都市的な感受性を色濃く反映させた女性像を提示してみせた。26年作品集『高山正隆写真画集』を刊行。28年(昭和3)京都在住の写真家山本牧彦(1893―1985)を中心に結成された「日本光画協会」に参加する。31年刊行の著作『芸術写真入門』以降、30年代を通じてアマチュア向けの入門書、技法書を多く執筆したが、第二次世界大戦終結後写真活動から離れた。
[大日方欣一]
『高山正隆ほか『日本の写真家5 高山正隆と大正ピクトリアリズム』(1998・岩波書店)』▽『「日本のピクトリアリズム――風景へのまなざし」(カタログ。1992・東京都写真美術館)』