改訂新版 世界大百科事典 「ピクトリアリズム」の意味・わかりやすい解説
ピクトリアリズム
pictorialism
写真用語。〈絵画主義〉と邦訳される。絵画芸術を手本として,既成の絵画的な主題(風景,静物,肖像など)や方法(構図など)に追従した写真の様式をいう。特に19世紀末から20世紀の初めにかけて,イギリスを中心にしてさかんであったが,しだいに世界的な影響を与え,日本でも明治から大正期にかけて,そのような〈芸術的〉な写真が写真表現の中心的な位置を占めた。日本ではとくに水墨画や俳画の影響の強いことが初期における特色である。
ピクトリアリズムの系譜をさかのぼれば,そもそも写真の発明当初の時期における写真家の多くは画家であったから,当然のこととして,画業の延長で写真を考えてその表現を追求したし,また19世紀中を通じて写真はその〈芸術性〉にこだわるあまり,写真独自の特質である現実的な描写を卑俗なものとして,絵画の既成の古典的な様式を規範としていた。初期のそのような傾向の代表的作品としては,O.G.レイランダー(1813-1875)の《人生の二つの道》(1857)やH.P.ロビンソン(1830-1901)の《臨終》(1858)があげられる。のち,19世紀の終りから20世紀の初めの時期にかけては,ボケた写真が現実のなまなましさを脱する芸術的な方法だとも考えられて,ソフト・フォーカス・レンズや紗(しや)のフィルターを使って撮影することや,ゴム印画法やブロムオイル法という手加工による操作を加えて印画を作る方法も流行した。こうした事情は日本でも同じで,東京写真研究会(1907創立)というグループの作品や,少しのちには〈ベス単派〉と呼ばれる素朴なカメラによる軟焦点写真が一世を風靡した。しかし1930年代に新即物主義の思想によるリアル・フォトやフォトグラム,モンタージュの技法などが〈モダン・フォトグラフィー〉として日本に紹介されると,これが日本では〈新興写真〉と呼ばれて急速に勢いを得て,ピクトリアリズムは写真表現の中心的な地位をおりた。
→写真[人間と写真の歴史]
執筆者:大辻 清司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報