朝日日本歴史人物事典 「高島鞆之助」の解説
高島鞆之助
生年:弘化1.11.9(1844.12.18)
明治大正期の陸軍軍人,政治家。薩摩(鹿児島)藩士高島嘉兵衛と貞子の4男。戊辰戦争に従軍したのち,明治7(1874)年大佐となり,西南戦争(1877)では少将,別働第1旅団長として八代で西郷軍の背後を衝いた。兵制調査のため1年間フランス,ドイツに出張。帰国後,熊本と大阪の鎮台司令官を務めた。15年西部監軍部長に就任,同年の壬午の変では漢城(ソウル)に出兵した。16年中将に進み,翌年子爵。その後第4師団長などを務め,24年第1次松方正義内閣の陸軍大臣となり,松方首相,樺山資紀海軍大臣と共に薩摩閥の一員として重きをなした。内閣総辞職ののち,28年まで枢密顧問官を務める。29年第2次伊藤博文内閣の末期に拓殖務大臣に起用されたが,薩摩閥,改進党と結んで倒閣を策した。第2次松方内閣に拓殖務相として留任,陸相を兼ね,30年陸相専任となったが,長州閥優勢の陸軍は掌握できなかった。31年陸相辞任と同時に中将のまま予備役,32年ふたたび枢密顧問官となり終身その職にあって,政界の惑星的存在となった。<参考文献>『近世名将言行録』1,桜井忠温編『類聚伝記大日本史』14巻
(戸部良一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報