高木俊朗(読み)タカギ トシロウ

20世紀日本人名事典 「高木俊朗」の解説

高木 俊朗
タカギ トシロウ

昭和・平成期の小説家,映画監督



生年
明治41(1908)年7月18日

没年
平成10(1998)年6月25日

出生地
東京

本名
竹中 俊朗

学歴〔年〕
早稲田大学政治経済学部〔昭和8年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日映画コンクール文部大臣賞〔昭和26年〕「中尊寺」,イタリア・シネチタ賞〔昭和28年〕「柔道王者」,ブルーリボン賞〔昭和29年〕「白き神々の座」,教育映画祭賞〔昭和31年〕「桂離宮」,菊池寛賞(第23回)〔昭和50年〕「陸軍特別攻撃隊」

経歴
昭和8年松竹蒲田に入社。清水宏に師事し、のち富士スタジオ、日映へ移る。戦時中は、陸軍報道班員として中国、ジャワ、ビルマ戦線に従軍。この間、記録映画「広東進軍抄」、文化映画「北京の正月」「万寿山」などを発表。戦後は、22年劇映画「幸運の椅子」、他に「柔道の王者」「白き神々の座」などを監督。28年には「血斗」の脚本を執筆したが、以後著述に専念する。著書は「陸軍特別攻撃隊」「インパール」「抗命」「全滅」「憤死」「知覧」など戦争をあつかったものが多い。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木俊朗」の解説

高木俊朗 たかぎ-としろう

1908-1998 昭和後期-平成時代の小説家。
明治41年7月18日生まれ。松竹に入社。第二次大戦中陸軍報道班員となり,中国戦線,ビルマ戦線などに従軍。戦後は記録映画の監督をつとめる。昭和28年から戦記文学にうちこみ,「インパール」「抗命」「全滅」「憤死」の4部作や,「陸軍特別攻撃隊」(50年菊池寛賞)などを発表した。平成10年6月25日死去。89歳。東京出身。早大卒。本名は竹中俊朗。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「高木俊朗」の解説

高木 俊朗 (たかぎ としろう)

生年月日:1908年7月18日
昭和時代;平成時代の小説家;映画監督
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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