高木氏(読み)たかぎうじ

改訂新版 世界大百科事典 「高木氏」の意味・わかりやすい解説

高木氏 (たかぎうじ)

(1)肥前国佐嘉郡高木村(現,佐賀市)を本貫地とする中世武家。藤原隆家の子孫がこの地に土着して高木姓を称したとされているが不詳。平安時代末期には大宰府の府官,肥前国在庁官人,押領使などを兼帯して勢力を伸張しており,九州における有力在地土豪である草野氏竜造寺氏上妻氏,北野氏などもその一族とされている。源平争乱期には源氏方として活躍し,鎌倉幕府成立後,1186年(文治2)高木宗家は佐嘉郡深溝北郷内甘南備(かんなび)峯(現佐賀市,旧大和町)の地頭職,高木季家は同郡小津東郷内竜造寺村(現,佐賀市)の地頭職に補任され,鎌倉御家人となった。また鎌倉時代末期,高木氏一族が肥前国一宮河上神社の大宮司に補任され,社領を支配するとともにその権限を利用して在地領主制の進展を図った。南北朝時代には武家方として行動し,九州探題の使節も務めた。室町時代には,千葉氏に圧迫されていたが,戦国時代になるとその一族竜造寺氏が台頭し,竜造寺隆信戦国大名として肥前国に覇を唱えたが,1584年(天正12)隆信が戦死したことにより,鍋島氏にその地位を奪われた。しかし高木氏一族はその後も肥前国各地に在地土豪として割拠し,繁衍した。
執筆者:(2)近世大名。河内丹南藩主。高木判官代信光16代の孫という宣光を初代とし,その子清秀は尾張水野氏に属し,同国緒川に住んだ。のち織田信長の命で佐久間信盛に属し,1582年徳川家康に召し出された。その子正次は1万石を与えられ,子孫に伝えた。歴代当主の多くは大番頭を最高職とし,奏者番に至る者もあった。

(3)交代寄合美濃衆。信光15代の孫貞政を初代とし,3家に分かれ,代々木曾三川治水を奉行した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の高木氏の言及

【宝暦治水事件】より

…江戸中期,宝暦年間(1751‐64)に薩摩藩が幕府の命で木曾三川(木曾川,長良川,揖斐川)治水工事を行った際,引責自刃など多数の犠牲者を出した事件。1753年藩主島津重年は御手伝普請を命ぜられるや家老平田靱負(ゆきえ)を惣奉行に任命し,上下1000人近い役人を現地に派遣して工事に当たらせた。幕府からは目付,普請役,勘定方,美濃郡代が派遣され,交代寄合美濃衆で水行奉行の高木三家も立会いを命ぜられ,ともに工事を厳しく監督した。…

※「高木氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

関連語をあわせて調べる

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android