日本の城がわかる事典 「高楯城」の解説 たかだてじょう【高楯城】 山形県上山市にあった中世の山城(やまじろ)。同市街の西方にある標高356m、比高130mの虚空蔵(こくぞう)山の山頂にあった。同市内にある上山城(月岡城)の前身ともいえる城である。現在、虚空蔵堂が建っている山頂から中腹にかけて主郭、二の郭があり、その北東に三の郭が配されていた。築城者、築城年代には諸説あり、応永年間(1394~1427年)に山形城の最上氏と同じ祖(羽州探題の斯波兼頼)を持つ天童満長が築城し、以後上山氏を名乗ったとも、1508年(永正5)に最上氏を破って、一帯を領有した伊達稙宗の家臣小簗川氏が築城したともいわれる。1528年(享禄1)に、大宝寺城主の武藤氏の一族ともいわれる上山(武衛)義忠が伊達氏(小簗川氏)から同城を奪還し、以後、上山氏代々が居城とした。義忠はその急峻な地形の不便さから、1535年(天文4)に新たな居城として築いたのが上山城である。その後、上山氏は最上義光の計略により滅亡する。高楯城が再び歴史に登場するのは1600年(慶長5)に起こった慶長出羽合戦で、最上氏家臣の里見民部により防衛拠点として再興・改修された。しかし、民部は上杉方の直江兼続(かねつぐ)の軍勢を城外で迎え撃ったため、城が使われることはなかった。JR山形新幹線かみのやま温泉駅から車。◇上山城、亀ヶ岡城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報