高橋作衛(読み)タカハシ サクエ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「高橋作衛」の解説

高橋 作衛
タカハシ サクエ


肩書
貴院議員(勅選),東京帝大法科大学教授

生年月日
慶応3年10月10日(1867年)

出生地
信濃国高遠(長野県高遠町)

学歴
帝大法科大学(現・東大法学部)政治科〔明治24年〕卒

学位
法学博士〔明治33年〕

経歴
大学院で国際法を研究、海軍大学校教授となる。明治27年日清戦争に常備艦隊司令長官付法律顧問として従軍、旅順口海軍根拠地通訳。30年から英、独、仏に留学。34年帰国し東京帝大法科大学教授となり、国際公法、外交史を講じた。日露戦争に際しては対露強硬論七博士の一人で軍嘱託として参戦。41年帝国学士院会員。大正3年大隈内閣法制局長官、5年勅選貴院議員となり教授を辞任。国際法学会長を務めた。著書に「戦時国際公法」「平時国際法論」「日米之新関係」などがある。

没年月日
大正9年9月12日

資格
?国学士院会員〔明治41年〕

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「高橋作衛」の解説

高橋 作衛
タカハシ サクエ

明治・大正期の国際法学者 東京帝大法科大学教授;貴院議員(勅選)。



生年
慶応3年10月10日(1867年)

没年
大正9(1920)年9月12日

出生地
信濃国高遠(長野県高遠町)

学歴〔年〕
帝大法科大学(現・東大法学部)政治科〔明治24年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治33年〕

経歴
大学院で国際法を研究、海軍大学校教授となる。明治27年日清戦争に常備艦隊司令長官付法律顧問として従軍、旅順口海軍根拠地通訳。30年から英、独、仏に留学。34年帰国し東京帝大法科大学教授となり、国際公法、外交史を講じた。日露戦争に際しては対露強硬論七博士の一人で軍嘱託として参戦。41年帝国学士院会員。大正3年大隈内閣法制局長官、5年勅選貴院議員となり教授を辞任。国際法学会長を務めた。著書に「戦時国際公法」「平時国際法論」「日米之新関係」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「高橋作衛」の解説

高橋作衛

没年:大正9.9.12(1920)
生年:慶応3.10.10(1867.11.5)
明治大正期の国際法学者。信濃高遠藩(高遠町)の儒者高橋白山の子。明治27(1894)年帝大法科卒。穂積陳重推薦で海軍大学校教授となり,日清戦争(1894~95)に国際法顧問として旗艦松島に乗って従軍。威海衛で丁汝昌提督への降伏勧告文を起草した。30~34年ヨーロッパ留学ののち,東京帝大教授。日露戦争(1904~05)に際しての対露強硬論七博士のひとりで,軍嘱託として参戦した。大正3~5(1914~16)年大隈内閣の法制局長官,5年貴族院勅選議員となる。著書は多いが,大著『平時国際法論』は著名。明治40年秋渡米した際,西海岸の日本人無政府主義者たちの活動を探知し,密かに山県有朋に報告し,それが大逆事件(1910)摘発の一契機となったという。

(長尾龍一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋作衛」の解説

高橋作衛 たかはし-さくえ

1867-1920 明治-大正時代の法学者。
慶応3年10月10日生まれ。高橋白山の長男。海軍大学校教授。日清(にっしん)戦争に法律顧問として従軍。のち母校東京帝大の教授となる。桂太郎首相に対露強硬論を提出した七博士のひとり。大正9年9月12日死去。54歳。信濃(しなの)(長野県)出身著作に「戦時国際公法」「平時国際法論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「高橋作衛」の解説

高橋 作衛 (たかはし さくえ)

生年月日:1867年10月10日
明治時代;大正時代の国際法学者。東京帝国大学教授;貴族院議員
1920年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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