朝日日本歴史人物事典 「高橋石霞」の解説
高橋石霞
生年:文化5.11.14(1808.12.30)
幕末維新期の町人学者。本姓は和田氏,名は興孝,字は成立,通称は平八郎のち半右衛門,号は石霞。備後国府中(広島県府中市)に生まれ,17歳で安芸国賀茂郡竹原の高橋家を継ぎ,酒造業,古着商を営む。嘉永3(1850)年町年寄,のち広島藩の綿座頭取となり,文久3(1863)年隠居。独学で経史を学び特に易経に詳しく,また医学にも造詣が深かった。その学識を広瀬旭荘 は「詩に於ては竹下あり,学に於ては石霞あり」と,頼山陽の門人橋本竹下と並び称した。<著作>『〓穴便要』『針灸方書』『医学方書』『本草鑒要』『便農集単方』『幽顕録』<参考文献>永井潜『石霞遺影』
(遠藤正治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報