コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

高橋石霞 たかはし せっか

2件 の用語解説(高橋石霞の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高橋石霞 たかはし-せっか

1808-1883 江戸後期-明治時代の漢学者。
文化5年11月14日生まれ。安芸(あき)(広島県)竹原の忠海屋(ただのうみや)高橋家をついで庄屋,町年寄をつとめる。また広島藩綿座頭取となり,藩財政の立て直しに寄与した。書画をよくし,易学,医学にもくわしかった。明治16年9月7日死去。76歳。備後(びんご)(広島県)出身。本姓は和田。名は興孝。字(あざな)は成立。通称は半右衛門。著作に「便農集丹方」など。

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

高橋石霞

没年:明治16.9.7(1883)
生年:文化5.11.14(1808.12.30)
幕末維新期の町人学者。本姓は和田氏,名は興孝,字は成立,通称は平八郎のち半右衛門,号は石霞。備後国府中(広島県府中市)に生まれ,17歳で安芸国賀茂郡竹原の高橋家を継ぎ,酒造業,古着商を営む。嘉永3(1850)年町年寄,のち広島藩の綿座頭取となり,文久3(1863)年隠居。独学で経史を学び特に易経に詳しく,また医学にも造詣が深かった。その学識を広瀬旭荘 は「詩に於ては竹下あり,学に於ては石霞あり」と,頼山陽の門人橋本竹下と並び称した。<著作>『〓穴便要』『針灸方書』『医学方書』『本草鑒要』『便農集単方』『幽顕録』<参考文献>永井潜『石霞遺影』

(遠藤正治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

高橋石霞の関連キーワード1808年5月3日ゴヤ(年譜)東欧演劇アルマン条約電気事業上田秋成検察ブルボン朝高橋石霞スタング(父子)

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone