高源寺(読み)こうげんじ

日本歴史地名大系 「高源寺」の解説

高源寺
こうげんじ

[現在地名]青垣町桧倉

南に岩屋いわや(七一八・三メートル)を仰ぐ山麓にある。臨済宗妙心寺派、瑞厳山と号し、本尊釈迦如来。開基遠谿祖雄と同門の業海が開いた現山梨県大和やまと栖雲せいうん寺が東天目と称するのに対して西天目とよばれる(「青垣町誌」など)。正中二年(一三二五)の開基。当初小倉おぐら創建されたが近世初頭に現在地桧倉ひのくらに移った。祖雄は佐治さじ庄地頭として入部した足立(藤原)遠政の孫光基の三男といわれ、徳治元年(一三〇六)二一歳の時に入元。天目山の中峰明本に一〇年間勤侍し隠逸禅を学んだ。

高源寺
こうげんじ

[現在地名]取手市下高井

下高井しもたかい集落東部に所在。普蔵山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。「下総旧事考」に「在下高井村、創建不詳、僧夢窓所開也、隷花園妙心寺、寺領三石二斗余、慶安二年己丑八月付」とみえ、山門は北相馬郡域での傑作と称される(北相馬郡勢要覧)境内の欅の大木は樹齢一千二〇〇年とも一千六〇〇年ともいわれ、目通り約一〇メートル・高さ一五メートル以上。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報