高瀬河岸(読み)たかせかし

日本歴史地名大系 「高瀬河岸」の解説

高瀬河岸
たかせかし

[現在地名]桂村下圷

那珂川沿岸に多くあった河岸の一つで、字舟渡ふなど(船渡)にあった。

寛永年間(一六二四―四四)下圷しもあくつ村の高瀬対馬の次男忠兵衛が初めて河岸守となってから代々忠兵衛を襲名し、明治まで一一代約三〇〇年間続いた。圷は那珂川の中流に位置し、背後は肥沃穀倉地帯で、物資集散も盛んであった。水戸藩御城米の輸送も行い、下流より上流へ送る魚類検閲もした。所有していた船は高瀬舟二隻、半艘一隻で、高瀬舟は米俵約六〇俵を運ぶことができた。下流は水戸・那珂湊方面まで行ったが、上流へはあまり行かなかったという(桂村郷土誌)阿波山上あわさんじよう神社の神官で河岸問屋でもあった徳宿道光の「弘化三丙午日記」(徳宿邦忠氏蔵)の九月一一日の項に「当月七兵衛舟之塩九日に下圷高瀬川岸上ル、即日一駄付入る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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