高熊村(読み)たかくまむら

日本歴史地名大系 「高熊村」の解説

高熊村
たかくまむら

[現在地名]金谷町高熊

福用ふくよう村の北に位置し、大井川右岸八高はつこう山の東麓に立地する。北は家山いえやま(現川根町)、東は大井川を境に駿河国志太しだ身成みなり丹原たんばら(現島田市)。大治三年(一一二八)八月日の藤原永範寄進状案(東大寺図書館蔵弥勒如来感応指示抄一紙背文書)に「限北大井河流并鷹駒」とあり、質侶しとろ牧の四至の北境として大井川と並んで当地がみえる。天正元年(一五七三)と推定される一一月一九日の武田勝頼判物(天野文書)に「しとろ之内高熊鶴見分」とある高熊は、先の鷹駒と同じ地と考えられ、この日武田勝頼は天野美濃守の本領当知行を安堵したが、そのうち当地については朝比奈右馬大夫に渡してしまったので替地を与えている。


高熊村
たかくまむら

[現在地名]八尾町高熊

八尾町の西方井田いだ川の支流室牧むろまき川左岸にある。室牧谷最北の村。正保郷帳に村名がみえ、村高は高嶺たかみね村と合せて二八三石余、田方七町六反余・畑方一一町二反余。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では高二八三石余。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)では高二一二石余。幕末の高二二〇石・免四ツ五歩(古高免小物成銀等書上)。文政八年(一八二五)には布谷組、文久元年(一八六一)以降は田中組。慶応四年(一八六八)の高持家数三三・人数一八五(郡方人別書上帳)。天明八年(一七八八)の書上帳(吉田家文書)に市場での紙の値段を記しているが、当村では傘用の厚手紙を産していた。当村内で取水し現保内やすうち地区一帯を灌漑する奥田新おくだしん用水取水口の小字をとって桑場くわば用水また新田しんでん用水ともよばれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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