高田麦村(読み)たかたむぎむら

日本歴史地名大系 「高田麦村」の解説

高田麦村
たかたむぎむら

[現在地名]余目町高田麦

南口(みなみぐち)村の南西にある。酒田から羽黒へ向かう道が東へ通る。開発年代は不詳だが、乗慶(じようけい)寺二世明林宗哲が文明年間(一四六九―八七)当地に庵室を建てたと伝えており(「萬福寺過去帳」萬福寺文書)、その頃の開発と推察される。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高三九八石余。後筆と思われる加藤肥後守上地分の注記がある。寛永元年庄内高辻帳では高三三三石余。支配領主の変遷は廿六木(とどろき)村と同じ。正保郷帳では記載を欠き、正保庄内絵図(本間美術館蔵)では高三三五石余。


高田麦村
たかたむぎむら

[現在地名]鶴岡市高田(たかだ)

北京田(きたきようでん)村の南にあり、東は新形(にいがた)村。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高一六三石余、そのほか新田一五石余がある。寛永元年庄内高辻帳では高五八〇石余。正保郷帳では田五六六石余・畑一三石余、新田がある。寛文九年(一六六九)の検地帳(京田地区文書)によれば反別四八町余、歩米五八一石余、うち五石余が乙坂六左衛門作、二斗余が寺屋敷永引、屋敷持一五人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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