日本歴史地名大系 「高関下郷村」の解説
高関下郷村
たかぜきしもごうむら
- 秋田県:大曲市
- 高関下郷村
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に高関村一千四〇六石とみえ、当村の地は「四ツ谷ノ内花立村」とあり無高である。享保一一年(一七二六)の願書控(花館公民館蔵)によれば、寛文二年(一六六二)大曲村が加伝馬村の要求を提出、翌三年にかけて「下郷御百姓無残花立村に引越、往還相勤」という。同一三年には検地が行われ、同年の高関下郷村打直御検地野帳(花館公民館蔵)によれば、田畑・屋敷合わせて二五三町九段九畝二二歩(分米一千七四四石七斗七升一合)であった。家数は伝馬屋敷一三〇軒、百姓二二軒、除分肝煎ともに一一軒となっている。
宝永二年(一七〇五)の仙北郡村々御黒印高帳(秋田県庁蔵)によれば、高は本田七二五石三斗一升九合、新田一千四六六石九斗六升一合で、合計二千一九二石二斗八升(当高一千七〇三石二斗五升八合)。享保八年の仙乏郡郡境本村支村御高共調帳(秋田県庁蔵)では、当高は変わらず、家数は一九一軒、ほか寺一軒。同文書によれば支郷には
「御上下津軽土佐守様御登御用其外往還御伝馬歩夫御飼場御卯時御旅籠御賄木銭賃馬賃夫戌年壱年勤方之覚」(佐々木文書)によれば、享保一六年の総人数は一千一五八人、うち七九二人が往還の百姓で、このうち三五三人が「往還御伝馬諸事働申者」となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報