〈いんのつかさ〉ともいう。上皇につかえて院中の諸事をつかさどる職員の総称。平安初期,嵯峨上皇の院中に別当や蔵人を置いたのに始まり,宇多上皇のときに大いに拡充整備され,円融上皇の院中ではその主要な機構がほぼ整った。ついで院政期に入り,執政の上皇の院司は質量ともに拡充強化されたが,南北朝時代以降,公家政権の衰退に伴ってしだいに縮小し,江戸末期,上皇の廃絶とともに院司も消滅した。
院司の構成にはかなり変遷があるが,《西宮記》《拾芥抄》《名目抄》その他の記録により,平安・鎌倉時代の院司を概括すると,二十数種に及ぶ。それを性格・機能のうえから分類すると,(1)院中の諸事を統轄処理するもの=別当・判官代・主典代,(2)上皇の側近に侍し身辺の雑事に奉仕するもの=殿上人・蔵人・非蔵人,(3)各種の職務を分掌するもの=別納(べちのう)所・主殿(とのも)所・掃部(かもん)所・薬殿・仕所・召次所・御服所・細工所・御厨子(みずし)所・進物所・御厩・文殿(ふどの)など,(4)上皇の身辺および御所の警固に当たるもの=御随身所・武者所・北面・西面などに整理できる。まず(1)は院司の中核で,(1),もしくは(1)(2)に限って院司と称した例も多い。院事を総理する別当は,はじめ1~2名にすぎなかったが,しだいに員数が増え,ことに院政開始後は,公卿・殿上人が競って別当になることを望んだので,白河上皇の晩年には20人前後にも達した。これに対処して生まれたのが執行別当(のち執事)・年預別当で,さらに鎌倉時代以降は執権も置かれ,院中の庶政は執事・執権によって運営され,雑事は年預・庁年預(主典代が兼任)によって執行された。(3)の別納所は勅旨田の地子や封戸の納物を収納する所として重視され,主殿所は湯・灯油を供進し,掃部所は清掃・鋪設をつかさどり,薬殿は薬を供進し,仕所・召次所は仕丁を進退して雑役に従事し,御服所は装束を,細工所は車その他雑具を調進し,御厨子所・進物所は進膳の事をつかさどった。御厩は車および牛馬を管し,御幸に供奉したので,おのずから上皇の護衛にも関係して重視された。別当以下,案主・舎人・居飼・車副などの職員を擁し,その別当には後三条上皇のときから公卿が任ぜられる例となり,源平争乱期には木曾義仲,源義経が相ついで院御厩を管掌したが,鎌倉時代以降は,親幕府派の権門西園寺家の廷臣が別当を世襲した。文殿は院中の典籍・記録を管理し,文事をつかさどるのを任としたが,後嵯峨院中で評定制が確立するに及び,明法家を文殿寄人(よりうど)に加えて訴訟の調査審理に当たらせた。また後嵯峨院政以降,上皇の政務補佐のため,院中に評定衆と伝奏が常置された。(4)の御随身(随身)は本籍を近衛府に置いたまま配属された儀仗兵だが,武者所は在位時の滝口を中心とした護衛の武士で,それを拡充強化して白河院中に北面の武士が創置された。後鳥羽院中に北面と並んで置かれた西面の武士は,承久の乱後廃絶したが,北面は性格を変えつつ江戸末期まで存続した。
なお平安中期に女院(によいん)の制が起こり,最初の東三条院の院中に別当・判官代・主典代が置かれて以来,女院にも院司が付置されたが,以後江戸時代末まで100人を超える女院の院司は,人により,時代によって,かなり差異があったものと思われる。
執筆者:橋本 義彦
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上皇や女院に仕えて院中の諸務を処理する職員。平安初期嵯峨(さが)上皇の院中に別当(べっとう)を置いたのに始まり、宇多(うだ)上皇に至って大いに整備され、円融(えんゆう)上皇のときまでには、主要な院司の組織はほぼ成立を遂げたが、さらに院政開始後は、政務をとる上皇の院司は拡充強化され、院政を支える重要な柱となった。その後院政の衰退とともに、院司の機構もしだいに縮小したが、別当以下おもな院司は江戸末期まで存続した。『拾芥抄(しゅうがいしょう)』『名目抄(みょうもくしょう)』などに院司として列挙するものを数えると二十数種に上るが、それらは性格、機能のうえから次のように分類できる。(1)は院司の中核として院中の庶務を統轄処理するもので、院別当、判官代(ほうがんだい)、主典代(しゅてんだい)、庁官などである。別当は院司の上首として院中の諸事を総理する職であるが、その員数が20人前後に上った院政時代以降は、そのなかに院執事、執権、年預(ねんよ)を置き、院務掌理の実質的な責任者とした。(2)は上皇身辺の諸事に奉仕するもので、蔵人(くろうど)、非蔵人および殿上人(てんじょうびと)などである。院司の語を以上の(1)(2)に限定する用例も多い。(3)は各種の職掌を分担専当するもので、召次所(めしつぎどころ)、仕所(つかえどころ)、別納所(べちのうしょ)、御服所(ごふくどころ)、御厨子所(みずしどころ)、進物所、文殿(ふどの)、御厩(みうまや)などがある。(4)は上皇身辺の警固にあたるもので、御随身所(みずいじんどころ)、武者所、北面などである。そのほか鎌倉時代以降、上皇の政務を補佐するものとして評定衆(ひょうじょうしゅう)、伝奏(てんそう)が置かれ、文殿はそのもとで訴訟審理などの役割を与えられた。
[橋本義彦]
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「いんのつかさ」とも。院庁あるいは女院庁の職員の総称。平安前期,嵯峨上皇の院庁におかれたのが初例。別当・判官代(ほうがんだい)・主典代(しゅてんだい)のような院中諸事をつかさどる者,院蔵人(いんのくろうど)のような院・女院の身辺雑事をつかさどる者,院中の所々をつかさどる者,北面のような警護をつかさどる者などの諸種の院司があり,上下さまざまの階層の廷臣が含まれていた。院司は本官をもつのが原則で定数はなかったが,徐々に増加の傾向を示した。院政期頃からは,執事(しつじ)とよばれる院司の統轄者がおかれる体制が成立し,鎌倉時代には執事のほかに執権(しっけん)がおかれて,院中諸務を統轄した。
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…平安初期,嵯峨上皇の院中に別当や蔵人を置いたのに始まり,宇多上皇のときに大いに拡充整備され,円融上皇の院中ではその主要な機構がほぼ整った。ついで院政期に入り,執政の上皇の院司は質量ともに拡充強化されたが,南北朝時代以降,公家政権の衰退に伴ってしだいに縮小し,江戸末期,上皇の廃絶とともに院司も消滅した。 院司の構成にはかなり変遷があるが,《西宮記》《拾芥抄》《名目抄》その他の記録により,平安・鎌倉時代の院司を概括すると,二十数種に及ぶ。…
…この制は鎌倉幕府に継承され,1180年(治承4)和田義盛が初代侍所別当となった。(6)院司(いんじ) 上皇または女院の院中庶務を担当する院司の上首。嵯峨院が院中を統轄するために別当以下の院司を置いたのに始まり,宇多院を経て円融院のとき院司組織が整備され,別当の員数も漸次増加し,院政をはじめた白河上皇の晩年には20余人になった。…
※「院司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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