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高麗図経 こうらいずきょうGao-li tu-jing

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高麗図経
こうらいずきょう
Gao-li tu-jing

中国,宋の徐兢 (じょきょう) の高麗見聞記。 40巻。宣和6 (1124) 年完成。正しくは『宣和奉使高麗図経』という。徐兢は同5 (高麗仁宗1) 年,宋使路允迪 (ろいんてき) に従って高麗におもむき,高麗の都開城に約1ヵ月滞在し,その間に得た見聞を翌年撰進した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版の解説

こうらいずきょう【高麗図経】

高麗に関する中国,宋代の徐兢(じよきよう)の見聞記。正しくは《宣和奉使高麗図経》。1124年撰。40巻。彼は1123年(宋,宣和5)宋の国信使の随員として高麗に来て,約1ヵ月滞在し,帰国後その間の見聞を本書にまとめて,徽宗に撰進した。全29部門に分けて,高麗盛時の制度・文物・風俗・人物等を記録していて,貴重である。もと,図と説明文(経)から成っていたが,図は亡失し,現在説明文のみ残っている。【北村 秀人】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高麗図経
こうらいずきょう

中国、宋(そう)の徐兢(じょきょう)が1124年に著した高麗の見聞録。40巻。原名は『宣和(せんわ)奉使高麗図経』。徐兢は前年に宋の使臣路允迪(ろいんてき)に従って約1か月ほど首都開城に滞在し、その間に見聞したことを、建国、世次、城邑(じょうゆう)以下、計28部門に分けて記した。元来は図を伴っていたが、金の入寇(にゅうこう)の際に失われ、説明の文だけが残存した。しかし、もとのまま図経の名でよばれる。ほとんどすべて当時の見聞録なので史料価値は高い。[浜中 昇]

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