日本大百科全書(ニッポニカ) 「魚住折蘆」の意味・わかりやすい解説
魚住折蘆
うおずみせつろ
(1883―1910)
評論家。兵庫県生まれ。本名影雄。姫路中学、京北中学を経て1903年(明治36)旧制一高に入学。友人藤村操(みさお)の死に受けた衝撃から、個我の尊厳を守る自殺を肯定した『自殺論』(1904)などラディカルな倫理性を示す論を『校友会雑誌』に発表。東京帝国大学哲学科を09年卒業し、『東京朝日新聞』に文明批評的なスケールを示す論を発表。『自己主張の思想としての自然主義』(1910)は国家という情況のもとに自然主義をとらえて注目される。
[助川徳是]
『安倍能成編『折蘆遺稿』(1914・岩波書店)』▽『魚住隆編『折蘆書簡集』(1977・岩波書店)』▽『助川徳是著『啄木と折蘆』(1983・洋々社)』