鮎貝村(読み)あゆかいむら

日本歴史地名大系 「鮎貝村」の解説

鮎貝村
あゆかいむら

[現在地名]白鷹町鮎貝

山口やまぐち村の東、最上川左岸に位置し、北東箕和田みのわだ村。戦国期、鮎貝城により、最上川左岸に勢力のあった伊達氏の有力家臣鮎貝氏の本拠地で、城下にはおお町・うち町・あら町・もと(新町)などの町場も形成されていたと考えられる。近世には鮎貝御役屋の館下として六斎市が立ち、近郷の物資集散地の役割を果した。小松こまつ(現東置賜郡川西町)みや(現長井市)を経て当村を通り村山地方へ抜ける最上川西岸沿いの道があり、東方対岸石那田いしなだ(荒砥)とを結ぶ渡しがあった。伊達輝宗日記(伊達家文書)の天正二年(一五七四)九月三日条に「あゆかい」とみえる。

近世初期の邑鑑に村名がみえ、高一千五八三石余、免三ツ三分、家数一三七(うち役家三〇、肝煎・小走三)・人数六〇五、役木として漆・桑・紅花青苧をあげる。蒲生氏高目録帳では村柄は上、修正前の高は一千六〇〇石余。寛文五年(一六六五)以降は本庄氏が鮎貝御役屋将(元禄五年までは城代)を世襲したが(「紹襲録」など)、文政四年(一八二一)の鮎貝御役屋図(本庄家蔵)などによれば、御役屋東側のたに町・元町・内町・大町などには本庄氏家臣の足軽屋敷、元町には米沢藩直臣足軽の屋敷などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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