鳥屋郷(読み)とやごう

日本歴史地名大系 「鳥屋郷」の解説

鳥屋郷
とやごう

中世の杵築大社(出雲大社)領一二郷のうちの一つ。鳥屋村ともいう。建久二年(一一九一)七月日の出雲国在庁官人等解(千家家文書)に「去久安元年十一月廿四日御遷宮、伯父国造兼忠奉懐御躰、申寄鳥屋・武志両村」とみえ、また同五年三月二一日に国造出雲孝房が嫡男孝綱に譲渡した所領の一つとして、遥勘ようかん(現大社町)出西しゆつさい郷などと並んで鳥屋郷がみえる(「国造出雲孝房譲状」同文書)。康元元年(一二五六)一二月日の杵築大社領注進状(北島家文書)には鳥屋郷として一七町九段一二〇歩と記され、うち神田が二町六段二四〇歩、経田が一八〇歩、常不が一段三〇〇歩であった。古代の出雲郡神戸かんべ郷の内にあって、古代末期に国造出雲氏自身の手で開発が進められ、いったん国衙領として成立したのち、改めて杵築大社に寄進され、大社領の一角を構成するに至ったと考えられる。建武三年(一三三六)七月二二日の塩冶高貞安堵状(千家家古文書写)によると、鳥屋郷は国造出雲孝時から五郎入道了教(平岡貞孝)に与えられたものだといい、こののちの史料に現れる神官鳥屋氏(嘉吉三年八月八日「利清寄進状」千家家文書、明応四年九月二三日「鳥屋重孝書状」秋上家文書、推定天文六年一一月二九日「鳥屋誠幸同清誠連署書状」佐草家文書など)は、その系譜を引くものと推測される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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