鴨方村(読み)かもがたむら

日本歴史地名大系 「鴨方村」の解説

鴨方村
かもがたむら

[現在地名]鴨方町鴨方

鴨山の南東に位置し、北は本庄ほんじよ村・地頭上じとうかみ村、東は地頭下村(現金光町)、南は六条院中ろくじよういんなか村、西は口林くちばやし(現里庄町)深田ふかだ村。岡山城下より当村を経て笠岡村(現笠岡市)に至る鴨方往来が通る。「和名抄浅口郡川村かわむら郷に属したとされる。応永元年(一三九四)仮託の吉備津宮惣解文写(吉備津神社文書)によれば、河村かわむら郷から精米一〇石が岡田頼昌によって納められている。吉備津神社の流鏑馬料足納帳によると、文明一〇年(一四七八)分として河村から二貫文が納められている。寛文一二年(一六七二)岡山藩からの分知が認められ、鴨方藩が成立し(撮要録)幕末には当村に陣屋が置かれた。

慶長一一年(一六〇六)の徳川家康朱印状(高山公実録)で、浅口郡河村の高二千六八四石余は伊予今治藩藤堂高虎の采地となった。河村は当地のこととされる。

鴨方村
かもかたむら

[現在地名]掛川市八坂やさか

みや村と土地の入交じった村で(掛川誌稿)、西は伊達方だてがた村。東海道が通る。賀茂方とも記される(「寛文朱印留」など)北東本宮ほんぐう山は加茂(賀茂)氏の山城跡で(掛川誌稿)、天文一一年(一五四二)一二月八日の今川義元判物(長松院文書)からは、先年奥野おくの長松ちようしよう院の寺奉行と賀茂右京亮が寺領をめぐって争っていたことが知られる。文禄二年検地高目録に「賀茂方」とみえ、高二一八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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