鵯尾城跡(読み)ひよどりおじようあと

日本歴史地名大系 「鵯尾城跡」の解説

鵯尾城跡
ひよどりおじようあと

[現在地名]鳥取市玉津

玉津たまづ集落の南西にある。標高二六八メートルの峰を中心として、周辺の尾根や尾根続きの峰に郭群が認められ、空堀跡などもあるが、未調査のため全体像は不明。千代川に近接し、因幡南部と北部を結ぶ交通の要衝にあたり、北東方の鳥取城を鳥取平野を隔てて一望できる。築城年代は不明。「因幡民談記」は当城と鳥取城を武田高信の拠点であったと伝える。鳥取城と連動することで、とくに南因幡方面からの進攻に備える戦略拠点であったと考えられる。武田氏は天正元年(一五七三)八月因幡へ侵入した尼子氏の家臣山中幸盛の籠る甑山こしきやま(現国府町)を攻撃するが敗れ、尼子方と連携する山名豊国に鳥取城を明渡し、当城へ移ったという(因幡民談記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む