九州地方北東部の古称。『豊後国風土記(ぶんごのくにふどき)』によれば、この国に白鳥が飛来し、餅(もち)となり芋草(うも)(里芋)が大繁殖したことにより、景行(けいこう)天皇が豊国と称したという。7世紀末、持統(じとう)朝に豊国が豊前(ぶぜん)・豊後の二国に分かれたといわれているが確証はない。最近の研究では、豊国というのは、豊前・豊後両地域を統轄しうる領域の呼称ではなく、4世紀代に大和(やまと)勢力と結んでいた現実の行政地域(後の豊前国長峡県(ながおのあがた)〈京都(みやこ)郡〉)を示すとする。7世紀末に九州に前後国(筑前・筑後など)が成立した際、豊前・豊後の両国誕生の根拠として豊国の分割という虚構がなされたのだとする。
[豊田寛三]
『『大分県史 古代I』(1932・大分県)』
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…代表作は1794年(寛政6)の《役者舞台之姿絵》。門弟に豊重(2世豊国),国貞(3世豊国),国芳,国政,国虎らがいる。(2)2世(1802‐35?∥享和2‐天保6?) 初世豊国の門人。…
…豊春が登場した18世紀後半の画壇は,北尾派が美人画,勝川派が役者絵の分野ですでに勢力を占め,つづいて鳥居清長,喜多川歌麿が一世を風靡(ふうび)するというはなやかな状況であった。こうした中で,歌川派をひときわ強力な派閥に育てあげたのは,豊春の門人歌川豊国である。豊国は寛政(1789‐1801)末ころから兆しのみえ始めた社会の美意識の変化を敏感に受けとめ,天明~寛政期の,均整美,調和美に重点をおいた浮世絵の表現をしだいに変形させ,〈猪首猫背型〉人物に象徴されるような,あくの強い形と色彩によって,対象の実在感を強調する様式をつくりあげた。…
…
【古代】
西海道に属する上国(《延喜式》)。隣国の《豊後国風土記》は〈本(もと)豊前国と合せて一つの国たりき……因(よ)りて豊国(とよのくに)といふ〉と記し,後二つに分けて豊前,豊後の2国が成立したという。しかし最近の研究では,本来2国に分けるほどの広大な地域をもつ豊国はなかったとされる(《大分県史》)。…
…史料的初見は《続日本紀》文武2年(698)9月乙酉の条の〈豊後国真朱〉を献ずるとする記述である。《豊後国風土記》は〈本(もと)豊前国と合せて一つの国たりき……因(よ)りて豊国(とよのくに)といふ,後両つの国に分ちて豊後国〉と称したという。しかし最近の研究(《大分県史》)によれば,本来,前後に分けるべき豊国はなかったが,庚寅年籍(こういんねんじやく)作成を契機として690‐692年(持統4‐6)ごろ,九州各国の前後国が成立しているので,豊前・豊後両国もこのころ成立した可能性が強いという。…
※「豊国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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