鶴城跡(読み)つるじようあと

日本歴史地名大系 「鶴城跡」の解説

鶴城跡
つるじようあと

[現在地名]豊岡市船町山本

円山まるやま川とその支流六方ろつぽう川の合流点北東部の愛宕あたご(一一五メートル)に立地。日撫ひなど谷を挟んで南側の丘陵上には支城として位置付けられたとみられる備後衆山びんごしやま砦跡が残る。当城は永享年間(一四二九―四一)以後に但馬守護山名持豊が築き、被官田結庄氏の居城としたと伝える。建武四年(一三三七)六月二一日、田結庄たいのしよう城が北朝方に攻められている(同年七月日「伊達義綱軍忠状」南禅寺文書)。この田結庄城は円山川河口部田結庄中のものだが、永禄一二年(一五六九)八月に羽柴勢が攻めた田結庄城(同月一九日「朝山日乗書状案」益田家什書)は当城とみられる。


鶴城跡
かくじようあと

[現在地名]長崎市片淵二丁目・鳴滝町・夫婦川町

しろ(一〇一・八メートル)に築かれた中世山城の跡。桜馬場さくらばば城とも記され(木村家覚書)跡地城の古址しろのこし(城ノ越)ともいう。長崎氏の居城であった。戦国期、長崎氏一四代の甚左衛門純景は天正元年(一五七三)・同六年・同七年・同八年と深堀純賢による数次の攻撃を受けたとされ、天正元年には夜半の満潮を利用して六〇艘の船で来襲、長崎の殿の城下まで焼払い、城砦の下手の家々と宣教師らがもっていた諸聖人の教会も焼かれたという(フロイス「日本史」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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