朝日日本歴史人物事典 「鶴沢寛治(4代)」の解説
鶴沢寛治(4代)
江戸後期の義太夫節三味線弾き。摂州難波村(大阪市)出身。通称鬼寛治。3代目寛治の門弟。富造,2代目文吾を経て文政9(1826)年に寛治を襲名。天保・嘉永年間(1830~54)に活躍した。腕達者で「関取千両幟」の櫓太鼓の曲弾きを始めたといわれている。明治初年,5代目に名を譲り寛翁と称した。なお寛治の名前は,宝暦10(1760)年に初代鶴沢友次郎の門弟が名乗ったのが初めである。また6代目寛治は昭和期の重要無形文化財保持者。<参考文献>『義太夫年表/近世篇2,3』,4代目竹本長門太夫著・木谷蓬吟校訂『浄瑠璃大系図』(音曲叢書6巻)
(鎌倉惠子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報