鷹尾別符(読み)たかおべつぷ

日本歴史地名大系 「鷹尾別符」の解説

鷹尾別符
たかおべつぷ

瀬高下せたかしも鷹尾郷が再編されて成立したとみられる別符。高尾竹尾とも記された。確実な史料によると、建暦元年(一二一一)以前に成立していたことがわかるが(建暦三年八月二日「瀬高下庄領家下文」鷹尾神社文書/鎌倉遺文四)、江戸時代の写本(「鷹尾神社古文書写」鷹尾家文書/大和町史資料編)にある弘長元年(一二六一)四月二二日付鷹尾社神宝等注進状の端書に「下御庄神宝修造者、文治五年歳次己酉 新三大夫末房許被造進之云々、自此年鷹尾於別符公事(名カ)別役」とあることから、文治五年(一一八九)までさかのぼる可能性がある。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文には「(瀬高上庄)別府 五十町」とあり、高良こうら(現久留米市)上宮宝殿造営料を賦課されている。

鷹尾別符は堤外の荒野・江底・葭原を開発して鷹尾社の料田としたもので(建保三年四月三日「某書下」鷹尾家文書/鎌倉遺文四)、「鷹尾十名之田率引出物」(承久元年一二月五日「鷹尾社遷宮宝殿指図并遷宮用途物注文写」鷹尾家文書/鎌倉遺文四)、「当別符十名内」(天福二年九月二二日関東御教書「鷹尾別符政所与地頭相論重書写」同文書/鎌倉遺文七)とあるように当初一〇の名で構成されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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