鹿島房次郎(読み)カシマ フサジロウ

20世紀日本人名事典 「鹿島房次郎」の解説

鹿島 房次郎
カシマ フサジロウ

明治〜昭和期の実業家 川崎造船所社長;川崎総本店総務理事;神戸商工会議所会頭。



生年
明治1年9月21日(1868年)

没年
昭和7(1932)年7月29日

出生地
備後国比婆郡庄原村(広島県)

旧姓(旧名)
田部

学歴〔年〕
東京高商(現・一橋大学)中退,ミシガン大学〔明治27年〕卒

経歴
大卒後帰国し、神戸の鹿島家の養子となる。明治30年神戸市役所に入り、37年退職、同年神戸市議に当選、39年助役を経て、40年神戸市長となり、2期11年を務めた。大正9年川崎総本店(川崎造船財閥の持株会社)総務理事となり、東亜セメント会社社長など関係諸会社の重役を兼ね、日本無線電信会社、日本航空輸送会社などの創立参与。14年には神戸商工会議所会頭に就任。昭和3年川崎造船所と川崎汽船の社長となり、金融恐慌での打撃を受けた同社再建尽力。また、神戸に山手高等女学校を創立した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鹿島房次郎」の解説

鹿島房次郎 かしま-ふさじろう

1868-1932 明治-昭和時代前期の経営者。
明治元年9月21日生まれ。神戸市役所にはいり,明治40年神戸市長となる。大正9年川崎総本家総理事にむかえられる。昭和3年川崎造船所社長に就任,金融恐慌で打撃をうけた同社の再建につくした。神戸商業会議所会頭。昭和7年7月29日死去。65歳。備後(びんご)(広島県)出身。ミシガン大卒。旧姓は田部。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「鹿島房次郎」の解説

鹿島 房次郎 (かしま ふさじろう)

生年月日:1869年9月21日
明治時代-昭和時代の実業家。神戸市長;川崎造船所社長
1932年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android