日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿島砂丘」の意味・わかりやすい解説
鹿島砂丘
かしまさきゅう
茨城県南東部、鹿島灘(なだ)の海岸に発達する海岸砂丘。大洗(おおあらい)町から神栖(かみす)市間にみられ、大洗町から鹿嶋市に至る北半部は鹿島台地が海岸に迫るので細長く、一部は台地上まで覆っている。鹿嶋市南部から波崎までの約28キロメートルの海岸は、最大幅約3キロメートルに及ぶ広大な砂丘地帯を形成し、一般にはこれを鹿島砂丘という。海岸沿いの標高5~8メートルの新期砂丘と、内陸部の10~39メートルの旧期砂丘に分けられ、旧期砂丘では神栖市の知手(しって)台(39メートル)、長峰若松台(31メートル)、八光台(27メートル)などが大きい。江戸時代から松の防砂林と防風林がつくられ、海岸沿いに半農半漁の村が点在している。砂丘を掘り下げて水田を造成、砂地ではラッカセイ、サツマイモ、麦などをつくり、鹿島スイカの特産もあった。また、地引網漁業も行われた。第二次世界大戦中は飛行場、戦後はサンドスキー場、グライダー練習場となった所もある。鹿島臨海工業地域の造成によって工場、港湾となり、高い砂丘は住宅団地や公園とされ、鹿島砂丘は大きく変容している。
[櫻井明俊]