鹿瀬町(読み)かのせまち

日本歴史地名大系 「鹿瀬町」の解説

鹿瀬町
かのせまち

面積:二五六・七七平方キロ

郡の北東部に位置し、東は福島県耶麻やま西会津にしあいづ町、北は飯豊いいで山を境に山形県西置賜にしおきたま小国おぐに町と接し、北西は大日だいにち(二一二八メートル)烏帽子えぼし(一五七二・九メートル)などを境に新発田しばた市と接する。南は津川つがわ町。総面積の九割強を山林原野が占め、南部を阿賀野川が西流する。同川に従って国鉄磐越西線が走り、集落もほぼこれに沿う。「新編会津風土記」に、薪樵の便がよく漁猟の利はあるが、田圃は少ないとあるように、明治中期の草倉くさくら銅山隆盛を別とすれば、昭和初期までは薪炭・用材を特産とする典型的な山村であった。昭和三年(一九二八)に鹿瀬発電所、翌四年に豊実とよみ発電所が建設され、さらに昭和肥料鹿瀬工場(のちの昭和電工、現鹿瀬電工)操業を開始し、急速に工場町として発展した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報