鹿背山城跡(読み)かせやまじようあと

日本歴史地名大系 「鹿背山城跡」の解説

鹿背山城跡
かせやまじようあと

[現在地名]木津町大字鹿背山 鹿曲田

鹿背山東部の西念(さいねん)寺東側の谷を登りつめた城(しろ)山(一三六メートル)の頂上にある。鹿山(ろくざん)城ともいう。木津郷をはじめ相楽・綴喜両郡西部の各村から奈良山にかけて、北・西・南が一望のもとに見渡せ、木津川とともに、伊賀・大坂・奈良の各街道を抑える要衝の地にあった。

「大乗院寺社雑事記」文明一一年(一四七九)一〇月二五日条に「木津執行ハ加世山ニ引退了」とみえ、「多聞院日記」永禄一一年(一五六八)九月一三日条には「一坂ヘ毛見ニ等春ヲ雇、少太郎付下了、近日ニ木津ヘ給人松浦可有働之由雑説半也、いかゝ、及晩三千ほとにて入了、両人カセ山ヘニテ入了」とあり、次いで九月一四日条には「昨日釣閑斎(三好政康)・香西以下三千ほとにて木津ノ平城へ入候、毛見に下処やうやう鹿山城へ迯入了」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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