日本歴史地名大系 「麻布十番馬場町」の解説 麻布十番馬場町あざぶじゆうばんばばまち 東京都:港区旧麻布区地区麻布十番馬場町[現在地名]港区東麻布(ひがしあざぶ)三丁目・麻布十番(あざぶじゆうばん)一丁目麻布永坂(あざぶながさか)町東方にある町屋。享保一四年(一七二九)新堀(しんぼり)川(古川)の屈曲部に設定された麻布十番馬場に付随する。地所は三ヵ所に分れ、北東の地面(現東麻布三丁目)は東が道を隔て讃岐丸亀藩京極家中屋敷、西が馬喰七人拝借地(現同上)、南が馬場。南東の地面(現同上)は東が道を隔て同藩中屋敷、南は麻布新網(あざぶしんあみ)町二丁目、西・北とも馬場。南西の地面(現麻布十番一丁目)は西が麻布永坂町、東・北とも馬場、南が飯倉新(いいぐらしん)町。十番の称は、寛文七年(一六六七)金杉(かなすぎ)橋際に多門の建設計画があり、近辺の古(ふる)川工事で浚い土運び人足番組を一〇番まで定めて幟を立て、当地から出した人足が一〇番にあたったためとも(文政町方書上)、延宝三年(一六七五)幕府救済事業で古川(以後下流を新堀川という)改修を行い、一〇番目の工区にあたる表示杭が残っていたためともいわれ(竹橋余話別集)、また人足の幟は元禄一一年(一六九八)上流に将軍徳川綱吉が白金(しろかね)御殿を建設する舟運のため改修を行ったときである(前掲書上など)など諸説がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by