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黄炎培 こうえんばいHuang Yan-pei

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黄炎培
こうえんばい
Huang Yan-pei

[生]光緒4(1878).10.1. 江蘇,川沙
[没]1965.12.21. 北京
中国の教育家,政治家。上海の南洋公学卒業後,日本に留学し教育学専攻。 1917年中華職業教育社社長,21~22年北京政府から2回にわたり教育総長に任命されたが拒否。 38年国民参政会常任委員になったが,47年国民政府の圧迫でホンコンに亡命。 48年9月政治協商会議に民主建国会の代表として出席,49年人民共和国政府のもとで政務院副総理兼軽工業部長,中ソ友好協会副会長をつとめた。 58年民主同盟常務委員,60年民主建国会主席となり,64年 12月~65年1月の人民政治協商会議第4期全国委員会の副主席の一人に選出された。延安を回想した作品に『延安帰来』 (1945) がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうえんばい【黄炎培 Huáng Yán péi】

1878‐1965
中国の教育家,政治家。字は任之。江蘇省川沙県出身で,南洋公学に学んだ後,日本に亡命して教育学を学ぶ。辛亥革命参加後,江蘇省教育司司長,江蘇省教育会副会長となる。1917年中華職業教育社を創立し,その社長として職業教育の普及に尽力した。30年代には抗日救国運動に参加し,45年延安訪問後,中国共産党に理解を示して《延安帰来》を著した。詩人でもあり,進歩人士として活躍した彼は解放後,中国民主建国会主任委員,全国人民代表大会常務委員会副委員長などを歴任した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

黄炎培
こうえんばい / ホワンイェンペイ
(1878―1965)

中国の政治家、教育家。字(あざな)は任之。江蘇(こうそ)省川沙(せんさ)の生まれ。上海(シャンハイ)南洋公学を卒業後、日本に留学して教育学を修める。辛亥(しんがい)革命後は、江蘇省教育司長などを務める。1915年アメリカ視察を行い、1917年「職なき者に職を、職ある者に楽しみを」と主張して、中華職業教育社を創設し董事(とうじ)長となる。翌1918年には中華職業学校を創立し、「手脳併用、注意実践」を提唱した。日中戦争中は、国民参政会常任委員として民主主義の擁護に努めた。1945年、国共提携のため延安(えんあん)を訪問し、中国共産党の政治を「実際知識を求め、実際工作に従事した、理想に近いもの」と感じた。『延安帰来』(1945)はその見聞記である。1949年の人民共和国成立後は、政務院副総理兼軽工業部長、民主建国会主任委員などを歴任した。[深澤一幸]

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