職業に従事するために必要な知識、技術、態度を修得させることを目的として行われる教育をいう。英語ではボケイショナル・エデュケーションvocational educationとよばれてきたが、今日では専門職業教育(プロフェッショナル・エデュケーションprofessional education)を含むものと考えられている。前者は中等水準の、後者は大学水準の教育を意味し、両者を連続させるような職業教育観の確立が求められている。職業教育は、人間にとって有益なすべての職業に必要とされるが、そのなかで工業、農業、商業など生産的職業に関係するものの教育については、産業教育とよぶ。
職業教育は、学校で行われるだけでなく、学校を卒業したのち、特定の技能を習得するための職業訓練や、生涯にわたって職業人として成長するための現職研修(現職教育)などと継続することが多い。職業訓練は、職業への適応力を速成的に養成するため、教育作用のもつ諸条件を欠落させることがあるが、現職研修は、学校教育の基礎のうえに職業人としての自己実現を果たすための、より高次の教育作用とみなされる。
[三好信浩]
学校は、その起源において非職業的な教養教育から出発した。古代ギリシアの学校は、奴隷労働に支えられて閑暇の生活を送る自由人の教育の場であった。これに対して職業教育は、中世に入って二つのルーツから発生した。その一は、医療、法曹、司祭などの専門職業の教育であって、中世ヨーロッパの大学において行われた。その二は、一般民衆の技術訓練であって、中世のギルドにおける徒弟制度を通して行われた。近世になると、後者の徒弟訓練をより組織的なものとするため、職業学校が設けられた。たとえば、イギリスにおける17世紀の救貧法では、貧困児童を自立させるために救貧院学校を設け、職業訓練をした。
19世紀になって、近代公教育の制度化が進むと、国民に読・書・算の基礎教育を与え、それを修了した者に、補習または中等の教育として職業教育を施した。とくにドイツでは、義務制の補習学校や中等の職業学校が発達し、主として産業教育を行った。19世紀後半になると、そのなかから工科大学や農科大学に昇格するものが現れた。
日本では、明治初期の公教育は、人材養成のための専門教育と、人民教育のための普通教育という二つの分野から成り立っていた。明治20年代になると、新たに実業教育という分野が加えられ、主として職業教育を担当することになったが、実業学校は上級学校へ直結しない袋小路の学校となり、複線型の教育制度を生み出す原因となった。第二次世界大戦後は、ふたたび普通、専門の2分野に戻り、職業教育はその両者において行うことになった。とくに高等学校は、高等普通教育と専門教育という二つの性格をもち、その専門学科は通常、職業科とよばれ、日本の職業教育の中核とみなされている。
[三好信浩]
現行の職業教育は、広義に解釈すれば次の3種となる。
(1)普通教育としての職業教育 職業の基礎的・予備的教育をなすもので、とくに中学校の技術・家庭科がこれにあたる。学校教育法のなかには、中学校の目標の一つとして、「社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと」とあるからである。
(2)専門教育としての職業教育 高等学校の職業科、および大学や高等専門学校の専門教育をいう。第二次世界大戦後の技術革新の時代には、高等学校職業科の多様化が進み、その学科数は二百数十に達したが、今日ではそのなかの総合的、基幹的なものを重視することが提言されている。大学の専門教育については、専門職業人としての使命感や実践力の形成が新たな課題となっている。
(3)生涯教育としての職業教育 大別して三つの機会がある。その一は、各種学校と専修学校である。1976年(昭和51)以来、修業年限1年以上で一定の条件を備えた各種学校を専修学校とよぶようになり、2000年(平成12)現在3551校を数えている。これに旧来の各種学校2278校が加わり、合わせて約97万人余の生徒が学んでいる。その二は、企業の行う事業内職業訓練施設と公共団体の行う職業訓練校である。その三は、各専門職の内部で行われる現職研修であって、たとえば教員の研修などがある。
戦前の日本において、職業教育を実業教育とよぶ特殊な領域に閉じ込めたため、職業教育を蔑視(べっし)する教育観が生まれ、今日でも高等学校の職業科のなかにそれが残っている。職業教育を基礎教育や一般教育と調和させることは、ペスタロッチやデューイなど欧米の教育学者によって提唱されてきた。現代社会の人間生活は職業を基礎として構成されているため、職業のなかで自己の個性を発揮することが必要とされる。そのためには、職業教育を普通教育のなかに取り入れるとともに、専門職業教育および現職研修へと連続的に発展させるような、より豊かな職業教育観の確立が課題となっている。
[三好信浩]
『梁忠銘著『近代日本職業教育の形成と展開』(1999・多賀出版)』▽『寺田盛紀著『ドイツの職業教育・労働教育』(2000・大学教育出版)』
[大学における職業教育と専門職教育]
中世ヨーロッパの大学は医者・聖職者・法律家の養成からスタートしており,それからも職業教育は大学制度の主要な目的の一つとして位置づけられてきた。今日,そうした職業を含めて,大学学士以上の卒業を要件とし専門的知識・技術の提供を行う職業は「専門的技術的職業」として分類されており,それらの養成のための大学教育を専門職教育として把握することもできる。しかし,日本の人文・社会科学系の大学学士卒業者は,必ずしも大学の専門的知識を要求されない「事務の職業」などに多く就職しており,すべての分野で専門職教育が行われているとはいえない。それでは,専門職教育以外の領域では,大学が明確に職業教育をその教育の中に位置づけているかといえば,それも否である。日本でしばしば見られる大学における「職業教育(vocational education)」の忌避は,それが「専門職教育(professional education)」より格下であり,また明確には定義しづらい「教養教育」を強調する方がどこか高尚と見えるためと考えられる。ここでは狭義の職業教育だけでなく,専門職教育も含めて,大学における職業教育を扱う。
[職業教育の定義]
大学における職業教育とは,どのような条件を兼ね備えたものであろうか。第1の条件は,職業教育にかかる目的性である。大学設置基準においては,大学は「人材の養成に関する目的その他の教育研究上の目的」を明確に設定する必要がある。ここで人材養成について,「特定のまたは一定の職業」が明確に想定されていることは職業教育の必要条件の一つである。大学教育の質をアウトカム,すなわち学修成果(learning outcomes)によって把握しようとする今日の動向からも,「特定のまたは一定の職業」の目的に対応すべく,学修成果として「知識,技能」や「コンピテンシス」あるいは態度,応用能力などが規定されているのかどうかという点が「職業のための教育」を満たすために重要である。
第2の条件は,職業教育としての方法論である。職業のための目的に対応する方法が明確に規定されている必要がある。一定の職業に就職するために就職指導をどれほど充実させたとしても,それだけで職業教育とは言えない。具体的にはカリキュラム,学位プログラム全体がどのように人材のニーズに対応して設計されているか,実際の授業等の運営において目的となる職業に関わる関係者との連携や協力が適切に得られているか,また教育を行う教員が当該職業に関わる適切な知識,技能,経験を有しているのかという点が,職業教育固有の方法論的な条件であり,それは「職業による教育」と要約することができよう。
第3の条件は,職業教育の統制ないし調整である。大学における統制・調整については,B. クラークの「調整の三角形」がよく知られているが,専門職教育および職業教育においては,「市場」に相当するものとして「目的とされる職業」が位置し,それが「大学同僚制」や「国家」よりも重視されるのが職業教育の本来の姿となる。この条件は,個々の分野について学部・学科等のレベルで職業教育の日常的な質の向上・保証に,そうした職業関係者が関わるとともに,当該分野に関係する地域や産業,職業の関係者(全国的な企業・経済団体や労働組合,職能団体を含む)が,当該職業教育の目的や方法についてのデザインや運営,質保証,改善に関与するという,重層的な関与によって満たされる。すなわち,職業関係者が主体的に関与するという意味で,「職業の教育」の条件ということができる。
この目的性,方法,統制という3条件を,J. デューイの『経験と教育』から敷衍していえば,職業教育は,職業の,職業による,職業のための教育として定義される。大学における職業教育も,原理的にそうした条件を兼ね備えていることが必要である。
[大学における職業教育の現実と課題]
日本の大学教育においては,学歴主義的労働市場のもとで,とくに文系ホワイトカラー層をみると,職業教育を通して仕事に必要な知識・能力を獲得することは,これまで特段必要とされてこなかった。しかし1990年代のバブル崩壊以後,長期にわたる学卒雇用環境悪化にともない,学卒無業やフリーターなどの進路や移行問題が深刻化し,高等教育段階の職業教育が政策課題としてクローズアップされることになった。2011年(平成23)には,中央教育審議会が「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」を答申し,大学におけるキャリア教育・職業教育の推進を提言し,その後,職業教育を担う新たな高等教育機関の創設に向けての議論が展開され,専門職大学等が2019年度から創設されることとなった。そこでは,高卒者の4分の3近くがストレートに大学・短期大学・高等専門学校・専門学校に進学する現状を踏まえ,大学を規範的モデルとする高等教育システムにおける,さらには非大学型セクターを含めた第三段階教育システムにおける制度的・機能的分化をどう確立していくのかという,高等教育の将来像への政策課題も並行して論じられている。
大学セクターにおける職業教育の充実と,非大学セクターにおける学術的アプローチの強化という双方のアプローチの共通・競合する領域として,職業現場でのインターンシップ・就業体験,企業実習など職業統合的学習がある。あらゆる領域でのグローバル化の進展する中で,第三段階教育における先の3条件などの点で,専門職教育を包含する職業教育のスタンダード形成が,今日国際的にも共通する,研究,実践,政策の課題となっている。
著者: 吉本圭一
参考文献: 中央教育審議会答申「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」文部科学省,2011.
参考文献: バートン・R. クラーク著,有本章訳『高等教育システム―大学組織の比較社会学』東信堂,1994.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
ある職業に従事するのに必要な知識と技能を与えるための教育。現代日本の学校制度にそくしていえば,高等学校の職業学科のほか,各種学校,専門学校および職業訓練の一部の教育がこれに相当する。西欧諸国においては,職業あるいは職種ごとに,職業上の資格によって従事すべき職域demarcationや要求される技能の水準を雇用契約などで明示する慣行が一般化しているので,個々の職業教育の目的,内容,水準などが明確である場合が多いが,日本では,医師,電気工事士,理容師などのように公的資格が設定されている領域を除くと,このような職業慣行は一般的でないため,その職業教育は西欧諸国のそれのように教育内容が細分化されてはいない。第2次大戦前の日本では職業教育ということばが用いられることは少なく,広く実業に従事する者を育成するという意味の実業教育ということばが用いられた。なお,日本をふくむ若干の国では,特定の技能について高度の熟練を要する職業のための訓練を,職業訓練vocational training, Berufsausbildungと称し,学校制度で行う職業教育と区別しているが,両者の内容の区分は必ずしも明確ではない。
職業教育の制度化は,歴史的には身分および職業の分化に対応して始まったが,中世には,ギルド制下に徒弟が親方のもとで5~7年にわたって年季奉公し,この間に職業上の知識や技能,慣習などを修業する徒弟制度として発達した。ギルドは王侯あるいは都市から職業上の独占を公認された結社で,構成員の技能水準保持のほか製品価格や賃金維持の目的で成員の採用を厳格にしていたため,職業上の知識,技能やその伝達方法はしばしば秘伝的性格をおびていた。市民革命は身分制を打破するとともに職業選択の自由(営業の自由)を確立したので,ギルドによる職業の独占は廃棄され,徒弟制度も崩壊した。
市民革命後の各国では多様な形態の職業教育制度が発達した。イギリスでは職業教育の学校制度の発達がおくれ,職人による見習工への伝習という徒弟制度の変形した方式が一般化した。プロイセン(のちドイツ)では,19世紀末に創設された公益法人としての手工業会議所の指導下に,広範な分野で年季制による熟練工養成制度が一般化した。産業革命前後から,各国では年少者にたいする普通教育制度を発達させたので,職業教育はしだいに普通教育の基礎のうえに実施されるようになった。このためにドイツやフランスでは職業教育を行う学校制度が発達し,年季制による職人養成制度と共存したが,学校による職業教育という方式はしだいに各国に波及した。20世紀に入ると,職業教育を行う学校については,普通教育の強化と,伝統的に古典語,アカデミックな教科を教授してきた中等学校との接近,統一が教育制度改革の焦点の一つとなってくる。アメリカではいち早くこの改革にとり組んだが,西欧諸国では中等学校の伝統への執着が強く,他方で職種別に組織された労働組合が職種ごとの職域に固執する傾向が強いこととあいまって職業教育の内容が細分化され専門化しているため,この面での教育制度改革にはなお未解決の課題が多い。
明治維新後の日本では,大工,建具職などの伝統的な職業の分野では年季制で技能を伝習する旧来の教育方法が一般化したが,近代的な産業諸分野では,1894年の実業教育費国庫補助法,99年の実業学校令により,初等教育の基礎のうえに職業教育を行う実業学校の制度が普及したほか,時代の要求に敏感に対応する柔軟な教育システムをもつ各種学校が普及した。工業,農業,商業,水産などの中等程度の実業学校は,第2次大戦後の教育改革によって高等学校の職業学科として再編され,国民教育制度としての中等教育の一部を構成している。
→技術教育 →実業教育 →職業指導
執筆者:佐々木 享
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…広義には農,工,商,水産など各産業部門の職業につく準備をする教育をいい,職業教育あるいは第2次大戦までの実業教育の内容がほぼこれに相当する。職業訓練や企業内で行われる教育訓練も広義の産業教育にふくまれる。…
…1870年代から農業,鉱工業,水産,運輸などの生産・流通の分野を実業と総称し,これらの分野で働こうとする者にたいする基礎的教育および専門的教育を実業教育と称する習慣が生まれた。第2次大戦後は実業教育と称することは少なく,ほぼ同様の教育は産業教育あるいは職業教育と称されている。実業教育の萌芽は70年代からみられたが,井上毅文相のもとで94年に実業補習学校規程および実業教育費国庫補助法が制定されて政府が積極的に奨励策をとりはじめると,おりからの日本資本主義の発展のもとで急激に発達しはじめ,実業学校令(1899)および専門学校令(1903)の制定により体系的に整備された。…
※「職業教育」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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