黒沢尻村里分(読み)くろさわじりむらさとぶん

日本歴史地名大系 「黒沢尻村里分」の解説

黒沢尻村里分
くろさわじりむらさとぶん

[現在地名]北上市本通りほんどおり一―四丁目・黒沢尻一―四丁目・九年橋くねんはし一―二丁目・若宮町わかみやちよう一―二丁目・大通おおどおり一―三丁目・青柳町あおやぎちよう一―二丁目・幸町さいわいちよう諏訪町すわちよう一―二丁目・花園町はなぞのちよう一―三丁目・川岸かわぎし一―五丁目・中野町なかのちよう一―三丁目・常盤台ときわだい一丁目・上野町うえのちよう一―五丁目・孫屋敷まごやしき・黒沢尻町 里分など

北上盆地の中央部、南流する北上川の右岸、同川と東流して合流する支流和賀川に挟まれた平坦地に位置する。標高六〇メートル以下の氾濫原と微高地からなり、現在の北上川右岸市街地の東部にあたる。奥州街道を挟んで西は黒沢尻村町分まちぶん地名は東流して北上川に合流する黒沢川の下流(尻)に位置することによるとする説がある。標高六〇メートルの段丘上にある帰帆場きはんじよう遺跡は縄文時代中期の住居跡で、北上川河畔に縄文時代晩期の牡丹畑ぼたんばたけ遺跡がある。中川岸なかかしに平安時代の城柵・居城跡の黒沢尻柵があった。

中世和賀氏の支配下にあったとされる。「北上市史」によると、鎌倉時代後期の和賀氏系図(鬼柳文書)に和賀義行の次女岡田女子の所領として黒沢尻野馬がみえ、牧が存在したという。永徳二年(一三八二)七月一七日の鬼柳氏一揆契約状(同文書)などによると、葛西氏および和賀郡内の者と思われる在地領主五名は一揆盟約を結び、鬼柳伊賀守(和賀氏庶流)の子息五郎が譲状を所持する黒岩くろいわ郷の知行をめぐって相論が発生し、黒沢尻氏が異議を唱えた場合には、黒沢尻氏に対し介入することを定めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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